「すると、ペテロが答えて言った。『主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。』イエスは『来なさい』と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、『主よ。助けてください』と言った」(マタイ14:28~30)
マタイの福音書14章28節から30節までを見ると、湖の上を歩かれたイエス様を追って自分も湖の上を歩こうとしたペテロの話が出てきます。最初、ペテロがイエス様を見つめていたときは湖の上をよく歩いて行くことができました。しかし、風が吹いて波が立つと彼は波を見つめ、その瞬間、彼は体のバランスを失って湖の中に沈んでしまいました。
イエス様を見つめている間は波が見えなくて恐れるものがありませんでしたが、目を上げて周りを見渡すと彼の心に恐れが生じたのです。これは、私たちがどんな状況に置かれているとしてもイエス様を仰ぎ見るべきだということをはっきり示しています。
私たちは昨日も今日もとこしえまでも変わることがないイエス様お一人だけを見つめながら生きていかなくてはなりません。そうするとき、私たちは全ての環境に打ち勝つことができます。私たちがイエス様の中にとどまり、イエス様が私たちの中にとどまるとき、どのような嵐であっても私たちを倒すことはできません。私たちがイエス様の中で守られる生活を送っていれば、何者も私たちを倒すことはできません。
「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです」(Ⅱコリント4:8~10)
私たちに力をくださる方は神様です。この神様は全能であり、天地を創られた方です。私たちを心から愛し、私たちが豊かな人生を送ることを誰よりも望んでおられる方です。苦しみの中でも賛美できる力、満ち足りることや飢えること、富むことや貧しいことにも対処できるあらゆる秘訣を得る力、これがキリストの力です。私たちにはできなくとも、私たちが主の力の中にいるとき、主が働いてくださいます。主の中で主だけを信じ、頼りながら進むなら、私たちはどんなことでもできるのです。できるようにしてくださる方は主です。
マルコの福音書9章を見ると、イエス様が3人の弟子と共に山に登って行っている間、ある父親が癲癇(てんかん)にかかった息子を連れて弟子たちのもとにやってきました。残っていた9人の弟子たちがみんなその子に寄ってたかって集中して按手祈祷をしましたが癒やせませんでした。その後、イエス様が山から下りて来ると、待っていた父親は息子を連れてイエス様のみもとに出てきました。その時、癲癇にかかっていた子どもは地面に倒れ、あわを吹きながら、ひきつけを起こしました。
イエス様はその父親に、「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか」と尋ねました。すると、その父親は藁(わら)にもすがる思いで、「幼い時からです。この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください」(マルコ9:21、22)と答えました。ところが、この言葉をイエス様は強く叱咤(しった)されました。
「するとイエスは言われた。『できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです』」(マルコ9:23)
その言葉を聞くや否や、その子の父親は叫んで、「信じます。不信仰な私をお助けください」(マルコ9:24)と言いました。その時、イエス様はその子の父親が主の力に頼っている信仰をご覧になって、子どもの癲癇を癒やしてくださいました。
私たちも神様の力で問題が解決されるのを願うなら、神様の力にもっと頼らなければなりません。人生が貧しく、必要なものの供給が中断されたように見え、苦しみの中に置かれたように見えるその時に、落胆したり不平不満を述べることで時間を浪費してはなりません。決して絶望したり、自己憐憫に陥ってはなりません。できないからと、諦めてはなりません。それを逆に、満ち足りる方法を学ぶ機会とすべきです。神様による訓練だと悟り、無事通過するために、さらに主だけを仰ぎ見なければなりません。
「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です」(Ⅱコリント9:8)
(イ・ヨンフン著『まことの喜び』より)
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【書籍紹介】
李永勲(イ・ヨンフン)著『まことの喜び』 2015年5月23日発行 定価1500円+税
苦難の中でも喜べ 思い煩いはこの世に属することである
イエス様は十字架を背負っていくその瞬間も喜んでおられました。肉が裂ける苦しみと死を前にしても、淡々とそれを受け入れ、後悔されませんでした。私たちをあまりにも愛しておられたからです。喜びの霊性とは、そんなイエス様に従っていくことです。イエス様だけで喜び、イエス様だけで満足することを知る霊性です。神様はイエス様のことを指し、神の御旨に従う息子という意味を込めて「これは、わたしの愛する子」(マタイ3:17)と呼びました。すなわち、ただ主お一人だけで喜ぶ人生の姿勢こそが、神の民がこの世で勝利できる秘訣だということです。
(イ・ヨンフン著『まことの喜び』プロローグより)
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李永勲(イ・ヨンフン)
4代続くキリスト教家庭に生まれ、幼い頃から主日学校に通いながらヨイド純福音教会と深い関わりを持ってきた。延世大学および韓世大学、連合神学大学院を卒業し、アメリカのウェストミンスター神学大学院修士課程を修了した後、アメリカのテンプル大学において宗教哲学修士(M.A.)と宗教哲学博士学位(Ph.D)を取得した。アメリカのワシントン純福音第一教会、日本のフルゴスペル東京教会、アメリカのLAナソン純福音教会の担任を務め、国際神学研究院院長、韓世大学教授、アメリカのベテスダ大学総長、ヨイド純福音教会教務担当副牧師などを歴任し、対外的には韓国キリスト教総連合会(CCK)共同会長と韓国キリスト教教会協議会(NCCK)会長などを歴任した。
現在、ヨイド純福音教会の2代目担任牧師として、韓国キリスト教総連合会(CCK)代表会長、キリスト教大韓アッセンブリーズ・オブ・ゴッド総会長、社団法人グッド・ピープル理事長などの活動を行っている。チョー・ヨンギ牧師の牧会と霊性を継承、発展させながら、ペンテコステ聖霊運動と御言葉充満の調和、仕えることと分かち合うことの実践、世界宣教および教会連合運動などに力を注いでいる。
主な著書としては『The Holy Spirit Movement in Korea』『霊的成長の道』『小さきイエスの霊性1・2』『感謝の奇蹟』『信仰の奇蹟』(以上、全て韓国語版)、韓英対訳『十字架の恵み』など多数。訳書としては『ペンサコーラ、奇蹟の現場‐ブラウンズビル教会』『世界ペンテコステ・ホーリネス運動の歴史』などがある。