このように寒い日々が続くと、どうしても思い出すことがあります。それは1977(昭和52)年の真冬のことです。父が突然洗礼を受けたいと言ってきました。それも自分の誕生日が2月10日だから、その日に洗礼を受けたいと言うのです。洗礼を受けた日を覚えやすいからという理由と、肉体の誕生日と霊の誕生日を同じ日にしたいという希望がありました。
私どもはその申し出を大変喜びましたが、2月10日というのはいくら南国高知でも一番寒い時期であり、当時私たちの家の教会では裏山の一の谷の渓谷で洗礼を授けていました。山の水に全身浸かって洗礼を受けるのは、当時58歳であった父の年齢にしたらちょっと良くないのではと思いましたが、父の決意は固く、その日を洗礼式の日にしたいと言うのです。
それで、教会から何人かの人たちに伴っていただいて、当日よく晴れた冬空の下、一の谷に集まりました。賛美歌を歌い、洗礼の意味を少し語り、最初に私が水の中に入っていきました。それはまるで氷の中に直接入るような感じで、耐えがたい冷たさでした。
その後から洗礼服に着替えた父がじゃぶじゃぶと水の音をさせながら、勢いよく入ってきました。体を少しずつ水にならしてゆっくり入ればいいのにとは思いましたが、気が付いたらすでに胸まで水に浸かっていました。
私は足が引き裂かれるような冷たさの中で、できるだけ短く洗礼式を済ませて水から上がってきました。父は全身水に浸かり、また勢いよく上がってきました。
皆で賛美歌を歌い、洗礼式が無事終えられたことを感謝しつつ、帰途に就きました。ところが、途中から父の容体がおかしくなり、これは大変だということでそのまま病院に直行しました。父は苦しそうにベッドに横たわり、物も言えない状態でした。
私が牧師になってから多くの方々に洗礼を授けさせていただきましたが、洗礼式から病院に直行したのは、後にも先にもこの時だけでした。(つづく)
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福江等(ふくえ・ひとし)
1947年、香川県生まれ。1966年、上智大学文学部英文科に入学。1984年、ボストン大学大学院卒、神学博士号修得。1973年、高知加賀野井キリスト教会創立。2001年(フィリピン)アジア・パシフィック・ナザレン神学大学院教授、学長。現在、高知加賀野井キリスト教会牧師、高知刑務所教誨師、高知県立大学非常勤講師。著書に『主が聖であられるように』(訳書)、『聖化の説教[旧約篇Ⅱ]―牧師17人が語るホーリネスの恵み』(共著)など。