最近、ジャパン・シンドロームという言葉を耳にするようになりました。世界で最も早い速度で少子高齢社会に向かっていることで、日本の経済力が弱体化し、国自体が危機に陥るかもしれないという現象を意味しているようです。日本の未来に希望を抱く人が減少しているということを、毎日、テレビやラジオ、新聞などでいやというほど見聞きします。
私たちの教会がある高知市の加賀野井団地でも、近所には空家になって放置されている住宅が何軒もあります。子どもの数がめっきり減ってきました。これは何も日本だけの問題ではなく、他の先進国も遅かれ早かれ直面する社会問題です。ただ、日本がこの危機にどのように対処するのか、世界は注目しているようです。
私は経済学者でもなければ人口学者でもありませんから、その方面から確かな提案をすることはできません。ただ、現在教会の礼拝では聖書の「伝道者の書」から学んでいますが、そこに次のような御言葉が出てきます。
「順境には楽しめ、逆境にはこう考えよ。人が未来について無知であるようにと、神はこの両者を併せ造られた、と」(伝道者の書7:14、新共同訳)
ここには、私たちが生きていく上でとても重要な示唆が与えられています。まず、人間の世界には順境の時もあれば、逆境の時もあるということ。そして、人には未来のことは分からないということ。さらに、最も重要なことは、人間の営みの背後に神が働いておられるということです。
このことから示されることは、私たちは決して近視眼的に物事を捉えて将来に対して悲観的になってはいけないということです。目の前のことだけを見ると悲観的にならざるを得ない材料がたくさんあるかもしれない。
しかし、人間の営みの背後には全知全能の神がおられるということ。そして、順境の時もあれば、逆境の時もあるのがこの人間の営みであります。常に順境の時ばかりというのはかえって不幸であるのかもしれません。神の大きなご配慮の中で順境の時もあれば、逆境の時もあるのであれば、私たちはどちらにも対処する知恵と力を神からいただくこともできるわけです。
使徒パウロは次のように言っています。「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。・・・私は、私を強くしてくださる方(キリスト)によって、どんなことでもできるのです」(ピリピ4:12、13)と。
信仰を通して、人生の四季に対処できる人間として成長していきたいものです。
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福江等(ふくえ・ひとし)
1947年、香川県生まれ。1966年、上智大学文学部英文科に入学。1984年、ボストン大学大学院卒、神学博士号修得。1973年、高知加賀野井キリスト教会創立。2001年(フィリピン)アジア・パシフィック・ナザレン神学大学院教授、学長。現在、高知加賀野井キリスト教会牧師、高知刑務所教誨師、高知県立大学非常勤講師。著書に『主が聖であられるように』(訳書)、『聖化の説教[旧約篇Ⅱ]―牧師17人が語るホーリネスの恵み』(共著)など。