Ⅰ. まえがき
今、プロテスタント教会は牧師の減少傾向にあり、無牧の教会が増加している。私たちの改革派教会においても例外ではない。その理由は、牧師を目指す教師候補者が少ないために、牧師が定年退職した後の補充が少ないことが大きな要因である(神戸改革派神学校はここ数年増加傾向にある)。
一方、牧師は定年退職のみならず、健康上の理由で早期退職をする方もおられる。しかし、これらの理由とは異なり、牧師自らの行動によって辞職したり、異動したりするケースが散見され、牧師減少化に拍車をかけている。そこで、牧師の資質とモラルと常識について考察し、一人の牧師として反省も踏まえながら、その防止策を提起し、教会と会員に対する信頼を得ることが肝要であると思われる。
牧師の仕事は、その性質上、教会で一番注目される。教会員は、牧師の行動の全てを見ており、言葉と行いにおいて模範が求められている。さらに、牧師は教会員の魂を預かる者として、高度な霊的管理能力が要求され、時には疲弊することも事実である。
同時に、牧師は社会的に見て一つの職業であるが、求められる資質・モラルは高い。教会員が牧師に求める資質・モラルのレベルと牧師自身が持つ資質・モラルの差が許されないレベルを超えると、教会トラブルになったり、牧師の職務遂行が困難になってくる。
現実にここ数年、牧師自身の問題で教会トラブルに発展したケースを考えると、牧師個人の判断と、教会・信徒が見る牧師の見方に違いがあるように思われる。そこで本論では、主観的・経験的な尺度ではあるが、牧師が持つべき資質とモラル&常識とはどのようなものかを2回に分けて考察したい。
Ⅱ. 牧師の基本的資質
1. 政治規準に見る教師の職務(政治規準第43条から)
教師の職務は、その重要性の故に教会において第1位を占めるものである。聖書はこの職務を遂行する者について各種の名称を与えて、その働きの多様性を示している。
- キリストの群れの監視者である故に「監督」、
- 羊の群れを霊的に養う故に「牧師」、
- 教会において、キリストに仕える者である故に「しもべ」、
- 羊の群れに対し分別と知恵を持ち、彼らの模範となり、キリストの家・キリストの御国をよく治める義務を持つ者である故に「長老」、
- 罪人に神の御旨を宣言し、キリストによる神との和解を勧めるために遣わされた者である故に「使者」、
- 無知の中に滅びつつある者に救いの音信をもたらす者である故に「伝道者」、
- 福音を宣教するために立てられた者である故に「説教者」、
- 御言葉を解説し、健全な教理を説き、反対論者を論破するものである故に「教師」、
- 神の多種多様の恵みとキリストが制定された礼典を取り扱う者である故に「神の奥義の管理者」、と呼ばれる。
2. 新約聖書に見る牧師に求められる資質
- 「だから、監督は、非のうちどころがなく、一人の妻の夫であり、節制し、分別があり、礼儀正しく、客を親切にもてなし、よく教えることができなければなりません。また、酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、金銭に執着せず、自分の家庭をよく治め、常に品位を保って子供たちを従順な者に育てている人でなければなりません」(Ⅰテモテ3:2~4)
- 「監督は神から任命された管理者であるので、非難される点があってはならないのです。わがままでなく、すぐに怒らず、酒におぼれず、乱暴でなく、恥ずべき利益をむさぼらず、かえって、客を親切にもてなし、善を愛し、分別があり、正しく、清く、自分を制し、教えに適う信頼すべき言葉をしっかり守る人でなければなりません。そうでないと、健全な教えに従って勧めたり、反対者の主張を論破したりすることもできないでしょう」(テトス1:7~9)
3. 牧師の霊的生活で心掛けること
- 「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」(愛と謙遜、Ⅰコリント13:4~7)
- 「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません」(ガラテヤ5:22~23)
- 「一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい」(エフェソ4:2~3)
4. 礼拝指針における牧師に関する事項
第10章 御言葉の説教
第36条(御言葉の説教と牧師)
御言葉の説教は、人の救いのために定められたもので、主イエスの御言葉に仕える卓越したわざの一つである。牧師は、真理の御言葉を正しく解釈し、説教の務めに勤勉に励み、恥じるところのない働き人であることを証しする。
第37条(説教の目的)
説教の目的は、聖書の教えを明らかに示し、礼拝者に適用することである。そのため、説教においては、聖書を説き明かし、今の時代の人々がその使信を理解できるように語らねばならない。
第38条(説教者の心得)
説教には、研究・黙想・祈りが必要である。牧師は不謹慎な即興的演説にふけったり、安易な自己主張、軽薄な知識をもって努力なしに神に仕えたりすることなく、聖霊の導きを求めつつ、慎重に説教の準備をなし、福音の単純性を保ち、すべての人が理解できるような言葉で、会衆への愛をもって説教する。
第39条(説教と牧会)
牧師は説教と牧会の務めが不可分であるゆえ、牧会している。信徒の魂を常に配慮しつつ、説教するように努める。また、牧師は説教において語る福音を自らの生活をもって飾り、言葉と行いにおいて、信者の模範となるように努める。
(本稿は2015年10月16日、神戸改革派神学校公開講座で配布した資料。元は東部中会機関紙2013年8月号)
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豊川修司(とよかわ・しゅうじ)
1944年、仙台市生まれ。宮城県工業高校電気通信科、62年KDD入社。主に国際間の通信回線拡充、コンピュータ通信、テレビジョン伝送業務、人事・総務等を歴任。1998年、52歳で早期退職。
高3の時、日本キリスト改革派仙台教会で受洗。上福岡教会で長老職26年間。1997年、改革派神学研修所(3年3カ月)。高島平キリスト教会牧師15年、2015年7月教師引退。現在、宇都宮教会(無牧)代理牧師。主に開拓伝道・無牧の教会・東日本大震災復興などの支援。教会形成の健全な成長策・若手牧師育成・求道者を受洗に導く手法などに関心あり。神学研修所で14年間講師、川越キングスガーデン協力牧師会世話人・評議員。