病院の中で父はじっとベッドに横たわり、医師が懸命に治療に当たってくださいました。私たちは廊下のベンチでただひたすら祈っておりました。なかなか状況を知ることができませんでした。
一体父はどうなるのだろう。大丈夫なのだろうか、それとも大変なことになるのだろうか。私は次第に心配がこうじて恐れの気持ちが出てきました。
どうしてあのような無謀なことをしてしまったのだろうか、なぜ止めなかったのだろうか。あんな山の水に2月の一番寒い日に58歳の父を全身浸けるというようなことをすることが、いかに危険なことか、どうして私に分からなかったのか。しきりに自分を責めていました。
数時間たっても処置室の中から医師が出てきません。私は神様にただただ父の命だけは助けてほしいと必死に祈っていました。
そのうち、私の心の中に暗い思いが出てきました。もし、父が召されたら、私の牧師生命はこれで終わりだな、事件として明日の朝刊に大きく載るだろうな、見出しは「牧師、父親を洗礼式で死なせる」となるだろうな、そうなったらもう今までの伝道は全て水の泡と消えるだろう。教会も解散だな、何のために今日まで一心に伝道してきたのだろう、これで全てが終わりになるのであれば・・・。
暗い廊下で、私の思いはますます悪い方へ落ち込んでいくようでした。それと同時に、「主よ、父を助けてください、命だけは助けてください!」と心の中で叫んでいました。
父が処置室に入ってすでに数時間がたちました。やっと医師が私たちを中へ招き入れてくれました。父はまだ横たわっていましたが、危機を脱したようでした。医師は脊髄の髄液を検査してくださり、異常がないことを確認してくれたのでした。
やがて、父は起き上がり、私たちは心から安堵しながら家路に就きました。父にとって、これはまさに命がけの洗礼となったのでした。そして、この経験によって、父の信仰はゆるぎないものとなっていきました。全てのことを最善にしたもう神をあがめ、神の大きな憐れみを感謝しました。
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福江等(ふくえ・ひとし)
1947年、香川県生まれ。1966年、上智大学文学部英文科に入学。1984年、ボストン大学大学院卒、神学博士号修得。1973年、高知加賀野井キリスト教会創立。2001年(フィリピン)アジア・パシフィック・ナザレン神学大学院教授、学長。現在、高知加賀野井キリスト教会牧師、高知刑務所教誨師、高知県立大学非常勤講師。著書に『主が聖であられるように』(訳書)、『聖化の説教[旧約篇Ⅱ]―牧師17人が語るホーリネスの恵み』(共著)など。