1949年1月。インドの指導的人物マハトマ・ガンジーが暗殺されたというニュースが世界を駆け巡り、多くの人が無抵抗主義によって差別と闘ったこの偉大な人の死を悲しんだ。その年のクリスマスに、ハワード大学学長のモルデカイ・W・ジョンソン博士の呼び掛けで、世界平和者会議がインドのベンガルで開かれ、宗派を超えて34カ国から人々が集まった。博士は、ガンジーが非暴力をもって差別という悪と闘った、その尊い意志を引き継いで、自分たちもまた非暴力によって、この国を引き裂いている人種差別と闘うべきではないかと述べた。
この会議に出席した若きマーティン青年は、心に大きな感動を覚えた。彼はイエスの「右の頬を打たれたら左をも差し出しなさい」「迫害する者を呪わずに祝福してあげなさい」という教えとガンジーの信念がとても似ていることに気付いた。
(そうだ。私は、聖書が教える愛をもってこの悲しむべき差別主義と闘おう)
彼は、そのように決心した。
1951年。彼はクローザー神学校を卒業。神学博士の学位を取り、さらにボストン大学大学院で勉強するために当地に赴いた。在学中に彼はコレッタ・スコットという美しい黒人女性と知り合い、恋に落ちた。彼らは信仰も価値観も、ビジョンも同じで、気持ちがしっくり合うのを覚えた。それから1年ほどの交際期間を経、1953年6月18日、彼らは結婚したのだった。そして大学院の課程を終えたとき、彼はアラバマ州モントゴメリーにあるデクスター・バプテスト教会の牧師として赴くことになった。この地を選んだことが、彼のその後の人生を大きく変えることになろうとは、誰一人予測していなかったのである。
さて、このモントゴメリーの町は、市民12万のうち黒人が4割を占めており、その多くは貧しかった。なぜなら彼らの仕事は限られており、男性は雑役夫か肉体労働で日銭を稼ぎ、女性は白人の家のメイドに雇われるくらいしかなかった。そして、白人はほとんど自家用車を持っていたが、黒人は車を持てず、バスの乗客の70%は黒人であった。しかも、このバスは白人優先であった。前の座席4つは白人用で、彼らは前のドアから自由に乗り降りできたし、どの席に座ってもよかった。それに対して黒人席は、後ろの狭い部分に仕切られ、老若男女を問わず、病人であろうと、身体障害者であろうと、命じられれば白人に席を譲らねばならなかった。こうしたことは黒人にとって非常な屈辱であったが、法律上そのように定められているのだった。
そんな時、南部諸州で公立学校における白人・黒人の共学を命じた最高裁判所の裁定に異議を唱える白人たちの市民会議が続々と設定され始めた。キングはNAACP(有色人種地位向上協会)の地元支部に属していたので、各支部を通じ最高裁判所の裁定を覆し、差別撤廃の運動を展開する準備を整えた。
こうした最中に、1955年8月28日、シカゴからやってきた14歳の黒人少年エメット・ティルが、ミシシッピでリンチを受けるという事件が起きた。この事件に激高した黒人たちは、「連邦政府は黒人の権利を保障せよ」と要求し、運動は全国的な盛り上がりを見せた。しかし、裁判所の裁定はこれをまったく無視するものだった。
「いくら黒人が主張してもだめさ」。一人の黒人は、吐き捨てるように言った。「結局のところ、法律は白人に有利なようにできているんだから」
そのうち、今度はキングの前任者のバーノン・ジョーンズという牧師が白人のために屈辱を味わった。彼がバスで白人専用の席に座ろうとすると、運転手はバスを止めて、後ろの席に移るよう命じた。彼が拒否すると、運転手は怒って、料金を返すこともせずに彼をバスから引きずり降ろして、そのまま行ってしまったというのだ。
また別の日、キングの所にクローデット・コルビンという女子高生が泣きながらやってきた。
「バスがすごく混んでいて、後ろの席に行かれなかったんです。それで、たまたま前の席が空いたのでそこに座りました。そうしたら、運転手は乗ってきた白人の男性に席を譲れと言うんです。私が嫌だと言うと、運転手はバスを止め、他の乗客と一緒になって私を縛り上げて警察に突き出したのです。私は1週間刑務所にいました。何も悪いことをしていないのに。どうして黒人はこんな目に遭わなくてはならないのでしょう」
キングが所属しているNAACPには、このような訴えが日々寄せられた。いよいよキングは黒人のきょうだいたちのために立ち上がることになった。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(イーグレープ、2015年4月)がある。