1960年1月。キングはモントゴメリーの教会を辞任し、家族と共にアトランタのエベニーザ教会の近くに引っ越した。彼の愛用している肘掛け椅子の後ろには、ガンジーの写真が掲げられてあった。心労の多い日々であったが、彼がまいた種は、この頃から少しずつ芽を出し始めていた。そして何よりも正義の火は若者たちの純粋な心に燃え移ったのである。
1月31日。グリーンズボロにあるノース・カロライナ農工大学の学生ジョセフ・マクネールが駅食堂のカウンターに座ると、「ここでは黒人に食べさせないから出ていってくれ」と追い出された。彼は同級生の友人エセル・ブレアーにこのことを話した。
「キング牧師の運動に参加しようじゃないか。あの人は非暴力で差別問題と闘っているよ」
ブレアーは持っていた本を友人に見せた。それはFOR(人種融和会)が出版した劇画『マーティン・ルーサー・キングとモントゴメリー物語』であった。二人はそれをペラペラめくっているうちに、ある案を思いついた。
「そうだ! ボイコット運動をやろうよ」
彼らは同級生2人を誘い、ウールワース・デパートのランチ・カウンターに座った。食べ物が出されないまま、午後1時から翌朝午前0時まで座り続けた。彼らは毎日食堂に通い、2月4日には彼らに共鳴した女子大の白人学生も加わった。そのうち、この運動の参加者が増すにつれて、新聞が注目し、やがてラジオ、テレビで報道された。2月8日にノース・カロライナ大学の白人学生がダーラムで座り込みを始め、ウィンストン・セーラムでは教育大学の黒人学生とウェーク・フォレストの白人学生が運動に参加した。そして10日目にはこの「座り込み運動」は10の町に広がり、2週間たつとサウス・カロライナ、テネシー、バージニアの各州にまで飛び火したのであった。
運動が盛り上がるにつれ、混乱も起きた。2月12日のリンカーン誕生日。初めての逮捕者が出た。彼らはショー大学、セント・オーガスティン大学の41人の学生だった。翌日はフロリダ農工大学の学生がランチ・カウンターに押し寄せ、逮捕されてそのまま刑務所に入った。しかし、このような圧力はかえって学生間の結束を強め、さらに遠くの大学へと拡大していったのである。3月末には、「座り込み運動」は南部の50以上の都市に広がり、その影響は広い範囲に及んだ。
そうした中、この運動に対する理解と援助も広がっていった。テキサス州ヒューストンでは、一部の店の店主がランチ・カウンターを黒人に開放した。東部のニューヘブンでは、エール大学の学生を下宿させている家庭が多く、彼らは白人、黒人の区別なく部屋を貸し、学内にある下宿斡旋(あっせん)所に進んで登録した。
2月13日。ナッシュビルで79人の学生が逮捕され、「秩序を乱す行動」の罪で起訴された。しかし、この町には「ナッシュビル・キリスト教指導会議」があり、その指導により学生たちは非暴力闘争について学んでいた。彼らは徹底して無抵抗で闘う覚悟を決めていた。『モーティブ誌』編集長ジェームス・ジョーンズは次のように報道した。
「彼らはたたかれても、たたき返さなかった。白人の青年が黒人女性の髪を引っ張ったり、火のついたタバコを背中に押しつけたりしても、仕返しをしなかった。彼らはただ祈り、次に起きることを静かに待ち受けた」
学生たちの運動が盛り上がるにつれて、各州当局の妨害も激しさを増した。ダラスでは南部メソジスト大学の白人学生58人が2人の黒人の級友と共に座り込みをしていると、警官たちによって殺虫剤をまかれた。
3月15日。クラフリン大学とサウス・カロライナ大学の学生は、40人ずつ分かれて大学を出た。すると、警察側は催涙弾と消防ポンプの放水でデモを鎮圧。デモ隊は、ずぶぬれで歩道にたたき付けられた。盲目の少女や身体障がい者に対しても容赦なかった。500人以上が逮捕され、このうち150人が屋内の留置所に、残り350人はぬれねずみのまま寒さに震えながら屋外の留置所で過ごした。屋内の者たちも、湯沸かし器の近くにあるろうに押し込められたが、室温は30度を超え、床には10センチ近く水がたまっていたので非常な苦痛を忍ばねばならなかった。しかし、彼らは賛美歌を歌い、祈りつつ耐えたのだった。
3カ月後。座り込み運動はさみだれ式に広がった。2月17日。エベニーザ・バプテスト教会に2人の保安官がやってきてキングを逮捕していった。しかし、3カ月後の裁判で激しい論争が行われた末、全員白人である陪審員はキングの無罪を告げた。この時、なぜ陪審員は彼を無罪にしたのか? 奇跡のようだったが、何かが彼らの心に起きたのだ。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。派遣や請負で働きながら執筆活動を始める。1980〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、1982〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、1990年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。動物愛護を主眼とする童話も手がけ、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で、日本動物児童文学奨励賞を受賞する。2015年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝の連載を始める。編集協力として、荘明義著『わが人生と味の道』(2015年4月、イーグレープ)がある。