日本福音主義神学会東部部会(大坂太郎理事長)の2015年春期研究会が15日、お茶の水クリスチャン・センター(東京都千代田区)で開かれ、ルーテル学院大学の鈴木浩教授が「今、再び人間の罪について考える」と題して、原罪論についての講演を行った。この日は、同神学会の会員をはじめ、各神学校から神学生が多数参加し、70人以上が集まった。
同大付属のルター研究所所長であり、日本福音ルーテル教会の牧師でもある鈴木教授は、講演の序章として、2017年の宗教改革500周年を記念するために共に準備を進めている、ルーテル教会とカトリック教会の動きについて話した。昨年、日本では日本福音ルーテル教会・日本聖公会・カトリック教会の3教会による初の合同礼拝が行われたが、鈴木教授によると、このような一致の動きは100年前には考えられないことだったという。
宗教改革400周年の時には、日本でもプロテスタントの各教会が式典を催し、内村鑑三も千人以上を集めて記念集会を開いたという記録が残っている。他方カトリック教会は「ルッテル(ルター)は異端」「宗教改革ではなく宗教改悪」などと、広報誌ではっきりと明言していたという。100年の時を経て、プロテスタント教会とカトリック教会を取り巻く環境が驚くほど変化したのは、第二バチカン公会議(1962~65年)におけるルター神学の再評価と、「一致に関するルーテル=ローマ・カトリック委員会」における「義認」についての大幅な合意によるところが大きいと鈴木教授は語る。
「信仰による義認」を説く義認論は、ルター神学の中心を担う概念で、米国のルター研究者ヤロスラフ・ペリカン(1923~2006)は、義認論の前提には、アウグスティヌスが取り組んだ最大のテーマである原罪論があると指摘している。「原罪論をめぐる奇妙な沈黙・・・この沈黙は何か、そしてその帰結は?」という副題が付けられた今回の講演で鈴木教授は、「なぜ、現代の教会は原罪について取り上げないのか」という問いを投げけた。鈴木教授は、宗教改革から歴史の流れに沿って、原罪論と義認論のキリスト教界における解釈の変遷を説明。原罪論と義認論が表裏一体であるにもかかわらず、原罪論に対する攻撃が神学者たちによって公然と行われ、「人間の尊厳」が重要視される時代になったことで、原罪論をめぐる不可解な沈黙が引き起こされたと語った。
歴史神学と組織神学の2つの視点から、古代の教父たちの神学的営みを見つめ続けてきた鈴木教授は、特にアウグスティヌスの発言に刺激を受けたと言い、博士論文提出時の英語名を「鈴木アウグスティヌス」にしたほど。これまでも原罪論を擁護してきた鈴木教授は、「いまだに協力者がいない」と笑いつつ、引き続き原罪論の再解釈の可能性を探ることにこだわっていきたいと話した。「罪の力がいかに強いのかを知らなければ、信仰による救いは色あせてしまう」と力強く語る鈴木教授の言葉から、参加者は罪と信仰の自覚の必要性をあらためて学んだ。
日本福音主義神学会は、聖書の十全霊感を信じる福音主義キリスト教の立場に立つことを共通の基盤とし、教会の健全な成長と発達のために奉仕することを目的として、1970年に設立した。現在の会員は約400人で、学会誌『福音主義神学』の発行、3年に1度の全国神学研究会議の開催のほか、東部・中部・西部に分かれて研究会・講演会を行っている。昨年11月の第14回全国神学研究会議(会場:関西聖書学院・KBI)には神学者や神学校教師、神学生ら約200人が参加した。