西洋中世学会の若手研究者らによるセミナー「西洋中世学で読み解く『最後の晩餐』」が18日、京都女子大学(京都市東山区)で開催された。レオナルド・ダビンチの名画で知られるように、西洋文明に大きな影響を与え続けてきた「最後の晩餐」の魅力と意味を、美術、哲学、音楽など様々な分野から垣根を越えて探り、「最後の晩餐」を通して、一般人にも西洋中世学の面白さを知ってもらうことを目的に開催された。
会場には、若い研究者の他、年配者から女子大学生まで約70人が訪れた。セミナーは、美術、歴史、哲学、音楽、文学の5つの分野から研究発表を行い、会場に「質問」を問い掛け、来場者と話し合う形式で行なわれた。
まず美術の分野では、『食べる西洋美術史 「最後の晩餐」から読む』(光文社新書、2007年)など多くの著作がある宮下規久朗氏(神戸大学)が発表。ルネサンス期のダビンチから、アンディ・ウォーホルの現代ポップアートまで、「最後の晩餐」がどのように描かれてきたのかをスライドで紹介した。
西洋では、絵画で描かれた「最後の晩餐」が、「食事は神聖・聖なるものである」という戒めの考え方を形作ってきたが、近世になるにつれてモネの「草上の昼食」や、ルノワールの「舟遊びの昼飯」など、野外の食事やレストラン、カフェの食事の風景が描かれるようになり、さらにゴッホやピカソなどが現実社会の貧しい食事の様子を描写するように変わっていった歴史を解説した。絵画における食事の仕方ひとつをとっても、その時代の信仰や人々の考え方が現れているのだという。
次に歴史学の分野では、中世修道院制度の研究者である大貫俊夫氏(岡山大学)が、12世紀に生れた修道会「シトー会」の特徴を紹介した。シトー会では12人の修道士と修道院長が「父」として考えられ、同じ形で修道会を形成していった。つまり修道院自体が、最後の晩餐で描かれるイエスと12使徒の模倣として形成されたのだという。
修道院の食事は、夏1日2食、冬1日2食と粗食を守り、肉食の禁止が規則として定められていたが、中世の資料によると実際はそれほど厳格でもなかった側面もあるのだとか。病人は肉食も許されていたため、修道院の外に外出した修道院長がいつも病室に泊まることを希望して困ったという記録があったり、「少なくとも3分の2が食堂で規定の食物をとるべきだ。また一個人に週2回以上肉を与えるべきではない」という規則が定められていたというエピソードなど、中世修道院の意外な一面も紹介した。
音楽の分野では、古楽アンサンブル・サリーガーデンの近藤明子さんと山田夕子さんが、中世に聖なる食事を思い起こさせる歌として歌われた世俗曲の音楽を、中世吟遊詩人の竪琴トゥルバドールハープなどを使って実演した。
13世紀にカスティリア王によって編纂(へんさん)された「Cantigas de Santa Maria」に収録された「Quen a Omagen da Virgen」や、1492年にスペインのレコンキスタに際して、スペインから追放され南回りで東方へ流れていったセファルディム系ユダヤ人が、安息日の食事の時に歌った「La Rosa enfloreca(romances sefarades)」(邦題:ばらが花開く)などを演奏し、会場の参加者はその古風で情緒溢れる音色に聞き入った。
哲学の分野では、哲学者の山口雅弘氏と辻内宣博氏によって、パンとワインがキリストの体と血になるというカトリック教会の見解(実体変化説)をめぐり、トマス・アクィナスなどの神学者と哲学者の間で見解が分かれた議論が説明され、この聖餐論の解釈がきっかけとなり神学と哲学が分かれていき、その後の自然科学の発達につながっていったことが紹介された。
文学の分野では、小宮真樹子氏(近畿大学)が、アーサー王と12人の円卓の騎士を描いた絵画が、「最後の晩餐」の図から大きく影響を受けていることを指摘。かって「最後の晩餐」は、丸い円卓で描かれていたがヨーロッパで円卓が一般に普及していくに連れ、長方形のテーブルで描かれるようになり、それがダビンチの描く「最後の晩餐」のテーブルにも表われているのだと説明した。
これらの発表の後、各発表者が参加者に出した質問についての話し合いと発表が行われた。
特に盛り上がったのは、「イエスが弟子と最後の晩餐で食べたのは魚なのか仔羊だったのか?」という質問。会場からは、「弟子の多くが漁師だったし、新約聖書でも魚を食べる記述が多い、それに魚はキリスト教徒の象徴だったことから魚のはず」という意見や、「仔羊は旧約聖書では犠牲の象徴だから仔羊のはず」といった意見が出された。さらには、「神への犠牲となったイエスが犠牲の象徴である仔羊を食べていいのか?」「パンが体なら仔羊も食べていいのではないか?」など白熱した意見が出て、大いに盛り上がった。
聖餐の説明をめぐって神学と哲学が分かれていったことは、中世の学問世界を支配していたアリストテレスの哲学が塗り替えられていくことにつながり、17世紀のデカルトによって世界への認識はさらに大きく変容していったという。
これについて哲学の研究者から、「デカルトの認識は心と身体を別々のものとする考え方で、現在も私たちはその認識世界に生きている。しかし、現代の脳科学などの発展の中、『脳を研究していくことで本当に心が理解できるのだろうか?』『心と体は全く別々のものではなく、互いに影響しているのではないか?』という問い掛けも出てきた。それは、近代の認識論への問い返しであり、つまり中世のアリストテレスの認識論が再び見直されてきていることでもある。だから中世の研究が現代で注目を集めている。つまり聖餐ひとつとっても物の見方を少し変えることで、それだけで学問や世界の見方が変わってくるのです」と意見が出されると、深くうなずき感心する参加者の姿も見られた。
さらに、「子どもが家で一人で食事をする『個食』や『ぼっち飯』(ひとりぼっちのご飯)という言葉が定着した現代において、『最後の晩餐』の意味を考えることは、集って食事を共にすること、そして日々の食事のありがたさを考えるきっかけにもなる。今の世の中の生き方を見直すことにもつながるのではないでしょうか」という女性の意見も出された。
セミナーは約4時間半にわたり、参加した人々からは、「西洋中世学というと、とても範囲も分野も広いので、一つのテーマを決めて、それぞれの分野から発表をして、自由に議論するのはとても新鮮で刺激になりました」という研究者の声や、「西洋中世学というと、普段は縁が遠いものと思っていたけれど、実は今に通じているものがあるんだなと、とても面白かったです」という一般の参加者の声も聞かれた。
西洋中世学会は今後も、若手の研究者を中心に、毎回新しい取り組みと切り口で、研究のきっかけとなるような催しを開いていくという。今後もこのような刺激的な取り組みが行なわれることをぜひ期待したい。