新教出版社の創立70周年を記念する連続神学講演会の第2回が26日、日本基督教団信濃町教会(東京都新宿区)で開かれ、作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏が講演した。佐藤氏は、「危機を超克する福音――J・L・フロマートカの受肉論に学ぶ」と題して、20世紀の激動期にナチズムとマルクス主義の狭間を生き抜いたチェコの神学者ヨゼフ・ルクル・フロマートカ(Josef Lukl Hromadka、1889~1969年)の教理的特徴を解説した。
佐藤氏がフロマートカに初めて触れたのは1980年、同志社神学部二回生のとき。ラインホールド・ニーバーやカール・バルトを読み漁っても、どうしても満足が得られない中、「佐藤君は、ロマドカ(フロマートカ)を読んだことがありますか」という、当時の指導教授だった野本真也氏(同大神学部名誉教授)の一言がきっかけだった。夏休み期間中、大学の研究室に通い、独和辞典と首っ引きでフロマートカの教義学書『人間への途上にある福音』(Evangelium o ceste za clovekem, Kalich/Praha, 1958)のドイツ語訳を読んだ。「この本が私の一生の方向性を定めた」と、佐藤氏は語る。
同書の監訳者解題で佐藤氏は、フロマートカを「世界をフィールドにした神学者」と紹介する一方、「誤解され続けた神学者」だったとも語る。
1948年2月、共産党がチェコスロバキアで無血革命(二月事件)を起こすと、フロマートカはこれを支持する。そのため、西側では「赤い神学者」と非難される。その一方で、チェコスロバキア国内では、スターリン主義的な粛清裁判(スランスキー事件)に対抗し、共産党政権からも警戒された。
1950年代末、チェコスロバキアでスターリン主義の影響が弱まると、改革派系マルクス主義者と「人間とは何か」というテーマで対話を始める。1958年には「キリスト者平和会議」を創設し、東西の緊張緩和に尽力した。これらの活動も、西側ではソ連による平和工作の一環とみなされ、東側では「平和」を口実に社会主義社会でキリスト教の影響力強化を画策しているとして警戒された。
この対話戦略は、一部のマルクス主義者の世界観を変容させ、「人間の顔をした社会主義」を求める1968年の「プラハの春」につながった。その後も、ソ連軍等の軍事介入に抵抗したため、西側では「自由の戦士」ともてはやされるが、東側では「異論派」と非難されることに。「フロマートカの行動原理は、政治とは別の位相にある」と佐藤氏は語る。
講演で佐藤氏は、フロマートカの受肉論において、「神が人間になったがゆえに、我々は救われる」、つまり、イエス・キリストの存在そのものを人間救済の根拠とする点を重要な特徴として強調した。また、「(フロマートカにとって)人間と神との正しい関係は、即、人間と人間との正しい関係」を意味すると述べ、信仰と行為をかい離させず、それらを同時に2つの軸とし、楕円状に真理をとらえていたことも特徴として挙げた。
さらに、フロマートカが受肉について「人知を超えたもの」とみなし、「人間の良心を超えた実像にあるのが、神が肉体そのものになったという受肉の事実であり、信仰がないと絶対に理解できないもの」としてとらえていたことを強調した。
同書の「終わりに」でフロマートカが論じる内容については、「死に果てぬ神」と要点を一言でまとめた。ここでフロマートカは、マルクス主義者や無神論者の批判する神を「小文字で始まる神」とし、同時に、その神こそが「私たちが祭壇を建て、自分たちの教会で自分たちの空想や希求、願い、希望を投影した神」「私たちの大きな恐怖と息苦しさ、私たちの迷信と無知、私たちの伝統的な敬虔さの結果であり続ける神」でもあり「この神が私たちを救うことはない」と、当時の教会を痛烈に批判している。佐藤氏は、「神をもう一度発見していくというプロセス、それはイエスを通じてしかできない。このプロセスが、プロテスタンティズムの特徴でもある」と述べた。