「神マンガ」「神アニメ」なる言葉を目にしたことはあるだろうか。ネットの情報サイトなどでは「神」の字が「ネ申」と諧謔(かいぎゃく)的に表記されることも。ストーリーやスケールが飛び抜けていることを指す、サブカル界の称号のようなものだ。
マンガやアニメの「神作品」に圧倒され心酔した多くの若者たちが、今日もネット上で「ネ申」を賛美している。マンガやアニメの世界は、いかにも“多神教”なのである。
はたから見て、クリスチャンから見るとことさら、どうしてこのようなものに人気が・・・と嘆きたくなる物語が世にあふれているなかで、まれに目の覚めるような傑作が光明を放つ。
そんなものに触れる機会も必要もなかった、という諸賢兄姉の声があるかもしれない。しかし、世界中で高く評価されている日本のサブカルチャーがキリスト教をどのように描いてきたのか、見渡してみることもまた一興ではないか。
小説や映画を題材に語り合う集いがあるように、クリスチャンがサブカルを語る場があってもいい。その方面に通じた人たちとの情報交流で名前の挙げられてきた“神マンガ”“神アニメ”を、シリーズで紹介していきたい。
まずはマンガ。定石ならば、当世の『聖☆おにいさん』あたりを採り上げるべきかもしれないが、キリスト教メディアでもすでに見慣れた感が否めないし、そもそもユルさが話題のマンガなので、語りにくい。
この際なので、古きに遡りましょう。『トーマの心臓』。1974年に『週刊少女コミック』に連載された作品で、しかもドイツのギムナジウム(高等中学)が舞台だ。外国趣味の少女マンガと侮るなかれ。哲学書並みに深く考えさせられる。
全寮制男子校の人気者トーマが、雪の日に橋で転落死するところから物語は始まる。その謎に騒然となる生徒たちのなかで唯一冷静さを失わない委員長ユーリのもとに、トーマからの手紙が届く。「これが僕の心臓の音」。そこにトーマと瓜二つの転校生エーリクが現れて・・・。
これから読む人のために細部を明かすわけにはいかないが、この作品のメッセージは明確だ。「どんな人も愛されていい」。そのことに気づかされた主要人物の一人は、最終的に聖職者となる道を選択する。そのようなマンガは、ほかに読んだことがない。
同性愛でも異性愛でもなく、アガペー(無条件の愛)を描こうとしている。聖書的にも正しい、などと言うつもりはないが、結末を知れば、トーマの死は明らかにキリストによる十字架上の献身に通じている。純真な少年たちのすぐ近くで暗躍する悪魔的存在も、その誘惑も、聖書におけるサタンとのせめぎ合いを思わせる。
アマゾンの読者レビューから『トーマ』についての感想を抽出すると――
「初めてこの作品を読んだのは13歳。トーマと同じ年でした。漠然と、すごい話らしい・・・ということはわかるのですが、何故(中略)が救われるのか全く理解できず歯がゆい思いをしました。ずっと後になってからキリスト教の考え方を知り、(中略)の意味を知り、雷に打たれたような気分になりました。こんなにも何かを信じ、誰かを愛することが、果たして自分にはできるだろうかと・・・」
「繊細な心理描写、宗教的モチーフ、(中略)これは、キリスト教における『無償の愛』をテーマにした、極めて文学的な作品である」
「これを読んだ外国人の大学教授が大泣きをし、改宗する人までいたというのもわかる気がします」
また、以下は登場人物の言葉――
「どうして神さまは、そんなさびしいものに人間をおつくりになったの? ひとりでは生きていけないように」(日曜学校で学ぶ子が父親に尋ねて)
「ぼくはずいぶん長いあいだ、いつも不思議に思っていた。なぜあの時、キリストはユダの裏切りを知っていたのに、彼を行かせたのか」
「もしぼくに翼があるんなら、ぼくのじゃだめ? 片羽きみにあげる。両羽だっていい。きみにあげる。ぼくはいらない」
作者の萩尾望都は70年代から今に至るまで多彩に作品を生み出し続け、すでに伝説的な人だ。心理描写の巧緻はもちろん、聖と悪を描かせれば“神業”の域に入る。2012年には少女漫画家として初の紫綬褒章を受けた。
タイトルに「神」を入れた作品が散見される。長編『残酷な神が支配する』は虐待と心的外傷を軸とするサスペンス。『半神』はわずか16ページの短篇だが、1人の少女の埋めようのない欠落と孤独を描いて評判を呼び、舞台化され映像化された。
萩尾望都にとっては一貫して、人間を描くことは、神を描くことなのかもしれない。その逆もまた。その原点が『トーマ』なのだ。甘くない内容に、連載初回で打ち切られそうになりながら、再評価されていく。やはり舞台化、映画化され、萩尾ファンの小説家がノベライズしている。
古いマンガだが、少しも古くなっていない。この春休み、人生を見つめ直す稀有な素材として、『トーマの心臓』に触れてほしい。さまよえる心の若者たちに。受験勉強を終えて、ほっとしている人にも。(高嶺はる)