ディズニー・アニメ『アナと雪の女王』が世界的にヒットしている。「魔法もの」であるのみならず、「姉妹愛」と「閉ざされた世界を救う愛」というあたり、前回取り上げた『まどか☆マギカ』に共通するものが見受けられる。
混乱する世界の中で、少女が身を挺して、救世主誕生という流れは、すでに類型化されているようだ。男性のものであることが多かった救世主的役割を女性に移し変えたというサブカル上の転換点は、1984年公開の『風の谷のナウシカ』に見ることができる。
この映画を見て「これはキリストと重なる」と一人つぶやいたクリスチャンは多いと聞く。「好きなアニメで何度も見ていたけれど、クリスチャンになって初めて見た時に、はたと膝を打った」という人もいる。
『風の谷のナウシカ』はアニメ界の巨匠・宮崎駿の代表作であり、繰り返しテレビ放送されているので、そのタイトルをも知らない人は少ないだろう。宮崎氏自身の手によるマンガ版(全7巻)も、アニメとは異なる展開ながら、戦争、生命、人類という大きなテーマを描いて評価が高い。
初期の宮崎作品の多くが、少女の救済をめぐる少年冒険活劇である。闇の世界に囚われた女性を救おうとする男性の行動は、ギリシャ神話(オルフェウス)や古事記(イザナギ)にもあり、物語の古典、王道といった感もある。それを踏襲するようでありながら、見る人を飽きさせない。希代のストーリーテラーたる所以だ。
初監督作品である『未来少年コナン』(1978年)では、主人公コナンが少女ラナを助けるために海を越え、空を駆け、悪を倒して世界を変革に導く。ラナを守りたい一心だったコナンの奮闘は、いつしか混沌の世を救うことにつながっていく。その点においては「救世主的」な物語と見ることもできる。
その後の宮崎作品、『カリオストロの城』『天空の城ラピュタ』『もののけ姫』『ON YOUR MARK』も、男性が惚れた女性を救い出し、結果的に新世界をもたらすというバリエーションだ。「その手のお話を作るのはもううんざりした」と宮崎氏自身がインタビューで語っている。
『風の谷のナウシカ』では、ヒロインが「助けられる側」でなく、主体的に「助ける側にいる」ところが新しさを感じさせられる。加えて、異性への情愛といった動機ではなく、滅びに直面した人類の救済を早い段階から胸に秘めているというスケールの大きさが際立つ。
宮崎駿はもちろんクリスチャンではないだろうし、おそらくアニミズムに依り立つ姿勢なのは『となりのトトロ』などからも察せられる。ただし、当初は絵本作家を志して欧米の児童文学を読み込んでいたという宮崎氏が、それらの物語を通してキリスト教の息吹を感じ、薫陶を受けていたことは間違いないだろう。
宮崎氏にその意図がなかったとしても、クリスチャンに限らない多くの人が『ナウシカ』を「キリスト的だ」と感じている。「ナウシカ、キリスト」でネット検索すると、じつにたくさんの見解が並ぶことからもそれは明らかだ。宮崎氏が意識しないまま、キリスト教的な理想像と物語に結実している可能性もある。
主人公ナウシカは物語の終盤、自分に砲撃する民兵に向かって、一人両手を広げて叫ぶ。その姿はあたかも十字架上のイエス・キリストのように描かれる。さらに彼女は、人の悪意によって生み出された怒涛の軍勢の正面に、自ら降り立つ決意をする・・・。
敵味方あるところの勝利ではなく、特定の誰かのための献身でもない。神の視点で世界を深く見つめた愛がそこにある時、人は最も感動を覚えるのだろう。(高嶺はる)