6月20日、衆議院第一議員会館(東京都千代田区)で、国政報告会の第61回目の会合が開催され、クリスチャン衆議院議員の石破茂氏と土肥隆一氏が最近の国政報告を行った。
国政報告会は1960年に河上丈太郎、長谷川保を中心に党派を超えて、国会開催中毎週欠かさず行われてきた。その活動が竹村泰子氏に引き継がれ、2001年まで続けられた。その後中断されたままになっていたが、現代の世界と日本、国政のために、また全議員の祝福のために祈る必要性を感じた人々により再開に導かれた。
国政報告会では、第1テモテの手紙2章1節から3節「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私達の救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです」、およびゼカリヤ書3章9節「万軍の主の御告げ―わたしはまた、その国の不義を一日のうちに取り除く」をテーマに参加したキリスト者らがグループに分かれ、国政報告でなされた祈りの課題をもとに祈り合う時間がもたれた。
土肥隆一氏は、最近の国政について、「国会がメルトダウンしている印象があります。国会という国権の最高機関、そして立法府というこの大切な機能をもっています。私達の生活のどれひとつ、何一つ法律によらないものはありません。お金の使い方にしても法律に基づいて国会で議決してお金を出している法によらないものは何もありません。立法府が機能を失しているということは、深い課題を残しているということ。そして消費税を上げようということでございます」と伝え、税制改革を行う民主党内閣の現状について報告した。
4代目クリスチャンである石破茂氏は、クリスチャン政治家としての活動について、「『自分たちでやっていることは正しいのか』という思いがいつもあります。それは神様に対する恐れ、そういう気持ちでもあると思います。『本当にこれで良いのだろうか、御心に適うものなのだろうか』と常に思っており、『御用のためにお用いください』という祈る気持ちだけは常に持っています」と述べた。
最近の国政については、「今の争点は税制改革だけではございません。道路、橋、トンネルや空港など次の時代に残るものは借金をして次の時代の方にお支払いいただくというのは理屈に適うのではございますが、医療・年金・介護とか自分たちの時代だけで終わるものを次の時代に先送っていいと言う話には全くなりません。それはやはり今の時代にやってしまわねばならないことです」と述べた。
また消費税増税を行おうとしている最中にあって、石破氏は、「消費税なるものが発明されたのは20世紀前半のフランスにおいてでございます。所得税や法人税は景気が良ければどんどん入ってきますが、景気が悪いと3分の1くらいしか入って来ません。安定して社会保障を賄う税金は何だろうかといえば、景気が良い悪いに関係なく入ってくる消費税というものが安定した財源ということになります。ですから福祉が進んでいる社会民主主義国といわれている国は押し並べて消費税が高いわけです。我が国は負担は少なく給付は一杯という、選挙はそのほうが『受ける』のでそういう話ばかりずっとしてきた結果、このような借金を抱えるようになってしまいました。経済がどんどん伸びているときは、負担は少なく給付は一杯というお話ができるのですが、経済が縮小して若い人が減ってということになりますと、そのような『まじない』が通用せず、その部分が借金に化けました」と消費税の歴史について説明した。
また政治家の職務として、「私達(政治家)は、嫌なことでも、本当のことを有権者に向けてお話をしなければならないという仕事を持っているのだと思います。政治家が調子の良いお話をすることで、あとでひどい目に遭うのは国民です。ただ消費税だけ上げるというお話をしているわけではありませんが、これ以上財政を悪くしませんということは、世界に向かって言わなければならないことだと思います」と述べた。
今後の日本の政治の在り方について石破氏は、「『日本が役割を負え』という話は(国民に)受けません、『受けないからしゃべらないほうがいい』と言うなら、政治家と言う仕事を止めた方が良いと思っています。政治家の仕事は『何が真実なのか』を知り、それを語る勇気をもつこと、『あいつの言う事だったら本当かもしれないな』と思って聞いてもらえる人間性を持たないといけないと思っています。総理でも大臣でもそうですが、『いつかは総理になる、大臣になる』ではなく、なって何をするのか、何をやるのかが大事だと思います。国民の政治不信が良く言われますが、翻って政治家は国民を信じているでしょうか。こちらが信じていないのに、人に信じてくれというのは無理な話です。『どうせ国民にはわかりゃせん』と調子の良いことを言うことは、国民を政治家が信じていないということだと私は思っています。この国に国民主権は本当にあるでしょうか。フランス革命前の世の中は王様が勝手に税金を集めて使い、勝手に戦争を始めて止めることをしていました。そんなことではダメだと言う事で、そんなことは国民が決めるのだと言う事で、直接民主制ではできないので代議制になっているのでございます。国民主権というのは、せめて一票入れるときに、『自分が為政者であったらどうするのか』と言うことを考えて、一票入れてくださるのが主権者だと思っています。なんでも良いから国民の良いようにしましょうというのが国民主権だとは思っていません。ポピュリズム(人民主義)とか言われているのは、国民が悪いのではなく、政治家の側が真剣に語りかけていないからいけないのだと思います」と述べた。
石破氏は次の選挙について、「次は党を選ぶのではなく、人を選ぶ選挙になると思います。政治をやるときに『何を言うか』ということを良く主権者に見ていただきたい。もう一度選挙をすることが今の国には必要なことだと確信をしております」と述べた。
国政報告会で代表祈祷を行った日本基督教団赤坂教会牧師の姫井雅夫氏は「神は私達を愛してくださったように、私たちは互いに愛し合うべきではないか。神から愛され、愛を頂いている者として、主義主張やいろいろな違いがあっても『私達は互いに愛し合うべきではないか』これが政治の根底にあり、私達ひとりひとりの小さな歩み方の根底にあるものだと思います。互いに愛し合い、相手の喜ぶことができるようにしてください。3.11以降、『互いに愛し合う』という事を日本中が、世界中が見せて下さったと思います。その思いがまた消えていってしまい、争いとならないように助けてください。みんなが神様によって愛されていること、お互いが神によって愛されている者であることの大切さを知りながら、互いに愛し合っていくことができるように導いてください。御心が天でなされるようにこの地でもなされますように。政界はいよいよ最終的な結論を出さなければならない大切なところにきています。国会の上に主の御心がなされますように」と祈祷を捧げた。