~2012年は国際協同組合年(IYC)~
国連は2009年12月の総会で、来たる翌年2012年を国際協同組合年(IYC)とすることを宣言した。これは、社会経済的発展への協同組合の貢献が国際的に認められた証ともいえる。1895年にスイス・ジュネーヴに本部が設置された世界協同組合の連合組織である国際協同組合同盟(ICA)は、約10億人の組合員を有しており、世界92カ国から農業・消費者・信用・共済・漁業・林業・労働者・旅行・住宅・保険などあらゆる分野の協同組合が加盟している。2012国際協同組合年全国実行委員会では、来年1月13日に国際協同組合年開始イベント、同11月16日~30日に神戸国際会議場でICAアジア太平洋地域総会共同組合フォーラムを行うなどして、国際協同組合年をアピールしていくことで、協同組合の認知度強化、協同組合の発展につながる政策の働きかけ、協同組合の成長を促進していこうとしている。
賀川豊彦は戦前の時代において、キリスト教徒の間で共に共済組合を設立し、困難な人を資金を出し合って助け合う活動を始めた。この運動が現在の共栄火災海上保険株式会社、全国共済農業協同組合連合会(JA共済)、全国労働金庫協会、全国労働者共済生活協同組合連合会(全労済)として結実している他、賀川は協同組合運動を「ブラザーフッド・エコノミックス(友愛の経済)」と提唱した著書によって、欧米の協同組合運動にも影響を与えてきた。
戦後は、日本協同組合同盟(後の日本生活協同組合連合会)を設立し、初代会長として全国的な協同組合普及を指導を行い、1960年に72歳で世を去るまで、現在につながるさまざまな組織の設立や思想の実現に向けて歩み続け、「無私」の人生を貫徹した人物として国際的にも高く評価されている。
今回のフォーラムでは賀川豊彦の思想が21世紀の社会にどのように適用できるかについて社会科学、および比較宗教学の立場から解説がなされた。
~非暴力の社会運動に徹した賀川豊彦~
小林氏は、キリスト者である賀川豊彦が、戦後のキリスト教の精神に基づいた社会運動を行う上で急進左派と対立し、『戦後日本のキリスト教の正統派』といわれる日本のキリスト教界から、賀川の宗教思想が正統的神学とは異なっているところがあるとされ、十分な評価を受けられなかったこと、賀川が資本主義に批判的で、それに代わる経済思想を提起したものの、それは「宗教的」で、暴力革命を批判して精神革命を重視するものであったため、戦後のマルクス主義をはじめとする左翼的思想からは批判的に見られることが多かったことなどから、賀川の思想や活動が最近まで高く評価されず忘却されがちであったものの、昨年の賀川豊彦献身100年事業の成果もあり、賀川に若干の注目が集まり始めており、今後の国境を越えた世界各国による友愛経済を築くためにも、賀川豊彦の思想を現代社会にとりいれる価値が十分にあるものであることを解説した。
賀川豊彦は1907年に神戸神学校に入り、路傍伝道を行っていた際、医師から死の宣告をされる病にかかった。呼吸困難で生死をさまよう病状の中にあって、「霊的な光が全身を包み、天にあげられる心地がした」という神秘的体験をして病から回復している。この体験が、賀川のキリスト者としての社会運動・思想を考える上でも非常に重要な意味をもっていることが指摘された。
賀川が行ってきた労働運動は、既存の国家権力体制に対して暴力をふるまうことによって成そうとした労働運動ではなく、あくまで無抵抗主義、非暴力主義であり、「人格の建設運動」としての労働運動に徹してきた。
戦前・戦中・戦後の時代を生き抜いた賀川の社会運動へのかかわり方や言説は、賀川自身のキリスト者としての信仰と日本という国家全体の一員として所属しているというコミュタリアニズムの精神のはざまに立たされざるを得なくなるという葛藤も生じており、戦争防止のために努力してきたものの、日露戦争開戦後は、国際反戦者同盟の本部(イギリス)に脱会の書簡を書き、その中で、「その瞬間、私は永年持って居た平和論を太平洋上に捨てざるを得なくなった」と書いている。戦時中の苦渋に満ちた曲折はあるにしても、戦後は賀川は非戦平和主義者として、日本国憲法第9条を守るための再軍備反対、非武装、原水爆禁止を訴え、理想主義的な世界連邦運動を展開するようになった。
敗戦直後には、東久邇宮首相官邸で、首相と二人だけの会話を行い、内閣参与となった。そのことを日本基督教団に伝達したところ「国民総懺悔運動」というアイデアが生まれ、日本基督教団の運動に賀川が賛成し、「道義及び文化の高い平和的新日本」へ向かうための「道義高揚」の必要性を東久邇宮首相が令旨として伝えたのに応えて、賀川は日本基督教団の「総懺悔更生運動」を推進し、「一億総懺悔運動」を先導していった。
一方、1946年には貴族院議員に勅撰されたものの、1944年のキリスト教講演のための中国訪問における言動や反米的放送などがGHQによって疑われ、公職追放の調査が行われ、その嫌疑が晴れるまでの間は登院禁止となった。この時期には、賀川は日本の首相候補として名が浮上するほど注目されていた。また1946年には超宗派的な新日本建設キリスト運動を宣言し、中心的な講師として全国を回り、3万人もの「決心者」を生み出している。1945年には日本社会党の結党に参画、日本協同組合同盟を組織して会長に就任、日本社会党統一大会では社会党顧問に選任された。1959年四国伝道に向かう途中で病に倒れ、1960年4月に昇天した。
今日ではNPOやNGO運動などの人々の公共的運動が重要になっているが、小林氏の講演では、賀川がその先駆者であることが指摘された。さらに賀川の社会運動は、公共的運動を「愛の精神」のもとに実践していることから、賀川の思想は言ってみれば「友愛の公共哲学」の先駆であり、その社会運動は「友愛公共運動」とも言えるという。
~「精神運動」と「社会運動」は密接不可分~
賀川の社会運動は、急進左派の社会運動と異なり、愛を基にする「精神運動」と「社会運動」が密接不可分なところに大きな特徴が見い出せるという。賀川の評伝を書いたロバート・シルジェンは、現代の協同組合運動の先駆として賀川があげたものとして「初期キリスト教のコミュナリズム」という表現を用いたり、歴史において戦争や競争、階級闘争よりも協同の自助の努力の長い歴史という「コミュニタリアニズム」が人類の進歩に貢献したというように賀川が考えたと説明しているという。
賀川にとって、「社会的連帯の意識」に基づく「協力の経済」を作ろうとする協同組合運動は、「愛と友愛のキリスト教の精神」に合致しており、これは「地上に神の国の建設」を目指すものであったと小林氏は解説した。
そして、この様な観点から見ると、賀川の思想や実践の中で「賀川が天皇制を支持した」ことについて、賀川が「その地域の文化的伝統に敬意を表して、内在的な思想的展開を重視するコミュニタリアニズム」の思想をもっていたことから、戦前から活躍した思想家が天皇制を受容してそれと両立する民主主義を主張することは必ずしも不思議ではなく、同じくコミュニタリアニズムの先駆者と見なされている南原繁(戦後の東京帝国大学総長)も、戦後に天皇制を維持する「日本的民主主義」「共同体民主主義」を主張してきたこととも並べて考えることができると述べた。
その観点から賀川の「国民総懺悔運動」を考えるとき、リベラル派の思想家であれば、個々人の責任を重視するため、戦争への加担や協力については、軍人・政治家や言論人など個々人の責任を問う一方で、コミュニタリアニズム的視点から見れば、戦争に反対した人も含めて、戦前の日本という共同体の一員としては、戦争については集団的責任、共同的責任も存在すると見なすことができ、個々人の戦争への関わり方とは別に、戦争の結果は、日本に住む人全員に何らかの形で影響を及ぼし、その責任も構成員の全員に一定程度は存在すると言わざるを得ないという見方も理解できると指摘した。
小林氏は、賀川の「国民総懺悔運動」について、「日本人全員が一億総懺悔を行うことは、無意味なのではなく、新日本を建設するための集団的な回心のために重要でありうる」と指摘し、一定の評価を下した。小林氏は賀川の思想について、「目的論的かつコミュニタリアニズム的である」とし、賀川の独創的な目的論的哲学に基づいて、友愛の政治経済学を創始し、友愛の公共的運動を先駆的に開拓して、偉大な「愛の実践」を行ったことを称賛し、「友愛の公共哲学」という観点からみれば、将来の政治経済学を先駆的に提起したものであり、この視座から見ると、賀川の思想的意義は、今日さらに高く評価されてしかるべきものではないかと述べた。特に社会運動を行う際に、暴力に走るのではなく、人間の精神運動と社会運動の両方を両立させる必要があるという賀川の視点は極めて重要な視点であると述べた。
小林氏は賀川の目的論的な思想、社会の連帯性・協同意識をかき立てるコミュニタリアニリズムに基づき、かつ人格・自己というものを重視する実践的哲学を今日の時代の社会運動によみがえらせていくべきであり、賀川の思想・学問を今日の新しい思想として再び定式化する方向を考えていくべきではないかと提起し、「友愛の哲学」という観点から見て、精神的な哲学として賀川の思想が現代によみがえることができるのではないかと述べた。
~「愛の実践活動を通した社会愛」による経済の再建~
賀川のもっていたコミュニタリアニズムの思想は、友愛・同胞愛を中核としており、友愛の政治経済学を提唱している。物質的な利益追求のみを求める資本主義経済、多くの人々の労働の対価を同じ価値とみなすオーソドックスな社会主義・共産主義とも異なる、通俗的な社会主義ではない「愛の実践活動を通した社会愛」を強調した経済の再建を説いた賀川の友愛の政治経済学に基づいた協同組合主義、人格社会主義を色々な領域に展開していき、世界的にも連帯させていくことで、世界平和を実現して行くのが賀川の発想であったという。
小林氏は、「今日の世界では国家の中だけでの民主主義はある意味限界を迎えており、グローバルガバナンス、国境を超えた政治が必要になってきている」と指摘した。国境を超えて世界諸集団が連携をし、世界平和のために貢献をしていくことは非常に重要になっているという。賀川の提唱した友愛精神を基調とした協同組合文化は、その重要な要素として役割を果たしていくことが考えられ、21世紀以降に賀川の思想が生きていく側面が多いにあるという。小林氏は、「急進的なマルクス主義思想から見ると、賀川の友愛経済思想は『生ぬるい』と思われがちであるが、(社会科学者として)我々の観点から見れば、新しい運動の理念を明快に描いており、賀川の友愛観は高く評価できる。賀川の提唱した友愛公共運動の精神・考え方を現代社会に当てはまる新しいかたちで再び定式化して行くことが必要であり、賀川の思想はコミュニタリアニズム、公共哲学の観点から見れば、目的論的社会科学の先駆的試みといえるものであり、賀川の評価はこれから将来的にさらに高いものになっていくのではないか」と述べた。
~『文化の力』としてのキリスト教~
濱田氏は「新たなる協同組合文化をもとめて」という題目で講演を行い、「賀川が今の時代に生きていたら、どういう協同文化を考えるだろうか」についての考察を発表した。賀川豊彦の精神について、「人間の悲惨さと希望の双方を理解しており、スラム街に人が集められざるを得ないという労働システムを生み出すグローバル資本主義の矛盾を乗り越える事業を展開し、その事業が世界の共有宗教文化としてのキリスト教など『文化の力』によって可能であると信じていた人物であった」と評価した。
21世紀の社会において金融危機後の協同組合金融機関への再評価がなされていること、世界最大のNGOとして存在する国際協同組合同盟(ICA)には世界で10億人が組合人として加盟しており、また世界には20億人以上のクリスチャンが存在することなどから、消費者と投資家が強くなり、労働者が弱くなる「超資本主義」への対抗手段としてのコミュニティ協同組合等の今後の発展に期待が高まっていると指摘した。
ICAは協同組合のアイデンティティについて「共同で所有し民主的に管理する事業体を通じ、共通の経済的・社会的・文化的なニーズと願いを満たすために自発的に手を結んだ人びとの自治的な組織である」と定義している。
濱田氏は、協同組合が「文化的・知的・精神的な面でより良い生き方の提供を支援していく」側面があること、世界中の協同組合が「すべての主要な宗教やイデオロギーを含む一連の豊かな信念体系の中で発展してきた」ことを強調し、協同組合の危機は「なぜ協同するのかということを失ってしまうことにあるのではないか」と指摘した。
~博愛精神に基づく協同組合~
濱田氏は、賀川豊彦が『新協同組合要論』の中で「協同組合は文字通り地方文化の中心となり得る。ここに考えねばならぬことは、協同組合は決して資本主義ではない。利益の払戻しと云うことは、個人的にも団体的にも、博愛精神に徹していなければ、決して実行できるものではない」と述べていることを紹介した。また仏教における愛について賀川は、「日本の仏教は『華厳十地』の精神から再出発する必要がある。『華厳十地』の精神を要約すれば、博愛と云うことになる。そして博愛の極致は贖罪愛である。即ち、キリストが人の罪まで引破つて飽く迄人類を愛して行こうと云う宇宙修繕の原理にこそ、社会連帯意識の運動はその根底を発見せねばならむ」と述べ、仏教の愛とキリスト教の博愛精神を結びつけている。
濱田氏はこれからの協同組合文化において「共有性」を大切にし、共有の対象への理解を深め、広げること、人間間の協同に加え、自然や超越的なものとの「協同」の感性を深め、「貨幣」以外の尺度への対応を広げていくことが大切ではないかと指摘した。人と共有する感覚が欠如していることによって、例えば学会のシンポジウムなどでも、「ここが私の専門分野」と主張してそれぞれが領域を分けていって、シンポジウムが終わっても共有するものがなかなか見えてこないということが発生していることを指摘し、「博愛はそう簡単に達成できるものではないが、文化を超えるものを深く考えていき、共有性を高めていくこと」がこれからの文明の構築に貢献する協同組合の在り方として重要ではないかと指摘した。