アジアキリスト教病院協会(ACHA)の第27回総会が、昨年11月7日~9日の3日間にわたり、沖縄のホテルコレクティブ(那覇市)を主会場にして開催された。テーマは「世界的危機におけるキリスト教病院の役割―経済危機、自然災害、世俗主義」。総会の大会長を務めたオリブ山病院(那覇市)理事長で牧師の田頭真一氏によるレポート(全3回)の第2回。
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2日目は韓国の参加者らが担当して朝礼拝が行われ、高神大学福音病院チャプレンのキム・デヨン氏が、「キリスト教病院の意味」と題してルカの福音書4章40~41節から説教を取り次いだ。
人生の最期の時に、最も重要なことは成功よりも愛や人間関係だと実感する人は多い。ホスピス病棟の患者たちは、その人生で愛することや、他者への奉仕や気遣いを十分に行えなかったことを後悔し、悔い改めに導かれる。
そのためキリスト教病院は、医学的なサポートだけでなく霊的なサポートを提供する使命も持つ。病院スタッフの奉仕と愛を通じて、患者自身がキリストの愛に出会い、人生が変わるきっかけを与える。そのため、患者一人一人に対する個別のケアを重視し、イエス・キリストの心を体現する姿勢が求められる。
その模範はやはり、イエス・キリストにある。イエスは、カペナウムの貧しい人々に対して無条件の愛と憐(あわ)れみを示し、病人一人一人に手を置いて癒やされた。その行動は、キリスト教病院が患者に接する際の模範となる。信仰が弱い人やためらいがある人にも、叱ることなく愛をもって対応することが重要である。
キリスト教病院は、その使命としてキリストの愛を反映することが最重要課題である。そこで肉体的な癒やしと霊的な癒やしの両方を提供する。その目標は、患者が人生を変えるイエスの力に出会い、その愛を深く体験する機会を提供することにほかならない。
結局のところ、キリスト教病院は、患者に対する無条件の愛と思いやりを通じて、神の愛と癒やしを体現する場である。その使命を果たすことで、多くの人々が神と出会い、深く癒やされた人生を送れるようにすることを目指す。このように、キリスト教病院は身体的医療の提供だけでなく、霊的な癒やしを通じて、人々の人生に神の愛を届ける特別な役割を果たしている。
続けて、1日目の基調講演を受け、「経済危機」「自然災害」「世俗主義」の各テーマに基づいたシンポジウムが行われ、活発な議論が交わされた。
「経済危機」をテーマにした1つ目のシンポジウムでは、プレスビテリアン・メディカル・センター(イエス病院、韓国)院長のシン・チュンシク氏が発題した。経済危機は、霊的、経済的、道徳的側面で教会や地域社会に影響を与える。聖書は、経済的困難への備えと神への信頼の重要性を示している。聖書は経済的困難にどのように対処するよう教えているのか。そこには、予見、忍耐、神への信頼、さらに悔い改めと赦(ゆる)しがある。
創世記41~47章には、ヨセフがエジプトの王ファラオの夢を解き明かし、7年間の豊作とそれに続く7年間の飢饉(ききん)に備えて穀物を蓄えるよう伝えたことが記されている。豊作の時の備蓄が、エジプトと周辺国にとって重要な資源となった。
ヨブ記では、財産や健康を失ったヨブが神への忠実さと忍耐により回復したこと、また、苦難の中における信仰の持続が強調されている。ルカの福音書16章の不正な管理人の例えは解釈が難しいが、管理人の賢さが評価されている。困難な時代における知恵の必要性が説かれている。
私たちは歴史からも教訓を得ることができる。キリスト教は組織的慈善活動を通じて、貧困層や社会的弱者に寄り添ってきた。産業革命期には病院や孤児院を設立し、地域社会を支えた。
経済危機におけるキリスト教病院の役割には、まず霊的側面がある。経済的困難時の病院を通じた支援は、地域社会に対する宣教の機会となる。また、経済的側面もある。財務状況を分析し、戦略的な資源配分や支出管理を行う。寄付や地域社会支援を通じ、経済危機を乗り越える必要がある。
経済的困難への備えの具体策として、1)適切な方針の策定、2)キャッシュフローの確保と持続可能な運営、3)地域社会との連携強化の3つを挙げた。そのための最重要資源は人である。すなわち、経験者や教会・病院間のネットワーク、専門コンサルタントと連携し、知恵とリーダーシップを活用することが大切である。
さらに、忍耐と信仰の重要性を学ぶ必要がある。聖書には、嵐で沈みそうになる舟の中で眠るイエスの姿が描かれている。神は逆境の中においても私たちと共におり、私たちを導いてくださるのだから、神を信頼し、勇気を持って危機に立ち向かうべきである。
結論として、キリスト教病院は、経済危機に霊的・物質的支援を提供し、愛と思いやりを実践する機会が与えられており、その信仰に基づく行動が地域社会における危機の克服に大きく貢献する。
「自然災害」をテーマにした2つ目のシンポジウムでは、馬偕記念病院(台湾)の洪大川副院長が発題した。まず、キリスト教病院の歴史と価値観として、キリスト教病院は慈善と奉仕という信仰に基づいて設立され、医療の発展に重要な役割を果たしてきたことを振り返った。
キリスト教病院は自然災害時、医療だけでなく、後方支援、人道支援、精神的・心理的支援など、多面的な対応をしてきた歴史がある。信仰に基づく組織として、被災地での支援と復興に寄与し、政府や非政府組織と協力し、効果的で思いやりのある対応を実現してきた。
近年は地震や洪水、山火事など、世界の多くの地域で甚大な被害が出る自然災害が発生しており、これらの対応における備え、回復力、国際協力の重要性が浮き彫りになってきている。
台湾では、1999年の「921大地震」や2009年の「八八水害」などで、キリスト教病院が医療や精神的支援だけでなく、人道支援を展開し、復旧や復興、地域再建に貢献した。また、2015年の「八仙水上楽園爆発事故」では、馬偕記念病院が熱傷患者に対して迅速な医療対応をし、他国からも注目される事例となった。
自然災害には、詩篇46篇1~2節に基づき、神への信頼と恐れない心で対応し、希望を持ちつつ、困難に直面する人々を支援することが、キリスト教病院の使命といえる。実際、キリスト教病院は、信仰に基づいた精神的・物質的支援を融合し、自然災害時の包括的な救援活動を実現している。
「世俗主義」をテーマにした3つ目のシンポジウムは筆者が担当し、発題を行った。世俗主義は、神、つまり人間を超えた至高の存在を否定し、この世に神の介入はないとするもので、人間の自律性や閉ざされたシステムの中での原因と結果の普遍性を絶対化する。世俗的ヒューマニズムともいえるもので、博愛主義とは異なる概念である。その具現化の例には、科学における理神論、政治形態における共産主義、社会科学や歴史学における社会進化論などがある。
世俗主義は、神への言及なしに人間の存在と活動を見る。医療宣教師は歴史的に、肉体的な癒やしと霊的な救いを統合した全人的なケアを提供してきた。しかし、世俗主義の影響により、医療と信仰が分離し、包括的な奉仕、全人的医療の提供が損なわれる可能性がある。キリスト教病院は、身体の癒やし、心のケア、魂の救いに取り組むキリスト教医療宣教の確かさと必要性を確認する必要がある。
世俗主義は、社会が安定しているときはうまくいっているように見えるが、社会が不安定になると、その重圧に耐えられなくなり崩れてしまう。米国の神学者フランシス・A・シェーファーは、自著『それでは如何に生きるべきか』の中で、そのことをローマ時代の猫背型の橋を例にして語っている。人や荷馬車は何世紀もの間、この橋を渡り続けてきたが、ずっしりと荷を積んだ今日のトラックがこの橋を渡れば、直ちに崩壊してしまう。有限な存在である人間のみに基礎を置いた人生や価値体系、文化は、このローマの橋のようなもので、圧力がそれほど大きくないときは耐えられても、圧力が増せばつぶれてしまう。
世俗主義的な歴史解釈の間違いも明らかになりつつある。中世はこれまで、教会によって独創的な考え方が抑圧された暗黒時代だったと理解されてきたが、最近の研究ではこれが見直されつつある。
世俗主義はまた、危険性をはらむ。さまざまな全体主義的権威や独裁的国家が、人間を超越する絶対的な基準を信じるキリスト者を認めることができず、迫害してきた歴史がそれを証明する。
現在、世俗主義の結果として、医療と信仰が分離されてしまっている。しかし、物理的法則と霊的法則は本来統合されるべき神の啓示である。また、内村鑑三は当時、日本が困難に直面している理由を、キリスト教を採用せずに、キリスト教的文明のみを採用したことに求め、文明と信仰の分離を問題視した。ムーディ科学院は、科学的領域の法則と霊的領域の法則の類比を研究したが、その2つには矛盾はなく、科学的領域の法則の発見が人類に飛躍的な進歩をもたらしたように、霊的領域の法則に従うならば、人類は同じく霊的領域においても飛躍的に進歩すると説いている。
このように、医療と信仰の統合には論理的に整合性がある。しかし、世俗主義によって信仰から分離されてしまった医療においては、自己申告を過度に強調し客観的な法則を否定する結果を招き、本当の癒やしを得ることができなくなってしまう。
例えば、昨今の大きな課題であるLGBTQ+(性的少数者)への対応では、愛に基づいたケアの結果として、本人が主体的に本来の身体的性を受け入れるケースでさえ、「コンバージョンセラピー(転向療法)」だとして、強制的な対応であると批判される場合がある。
また、「ウォークカルチャー(多様性や包括性、平等性に目覚めた文化)」においては、学問の自由が制限される危険性がある。世界保健機関(WHO)の決定や国際疾病分類の第11回改訂版(ICD-11)においても、客観的・医学的根拠よりも、政治的・社会的背景に基づくものがあったと考えられる。
LGBTQ+に関しては、2021年にLGBTQ+コミュニティーの一員であることを明かした米国人俳優ジョシュア・バセットが、その後23年に、同性愛は罪深いと教える教会で洗礼を受け、イエスへの信仰を公然と示すようになったことが実際の事例としてある。
一方、キリスト教的世界観に基づく医療の事例としては、慈恵病院(熊本市)による「赤ちゃんポスト」(親が育てられない赤ちゃんを匿名で受け入れる仕組み)を挙げた。慈恵病院の蓮田健院長は22年のインタビューで、視察したドイツや韓国、南アフリカには、いずれも「ベビーボックス」と呼ばれる同様の仕組みが複数あり、大半がキリスト教系の団体によって運営していたことを説明。キリスト教の「罪を赦し、助ける」という行動原理が、そのエネルギー源になっているとする見解を示している。
その上で最後には、福音派、カトリック、聖公会、正教会の指導者らが、生命の尊厳や伝統的な結婚、信教の自由への支持を確認するために2009年に発表した「マンハッタン宣言」(英語)の一部を抜粋して紹介した。(続く)
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