これは、キリストが自分史に介入されたことの証しです。神はあわれみ深く、恵み深い方であり、こんなにも愚かで情けない者も、神に叫び求めると神が救ってくださったという証しです。キリストは、こんな者をも愛してくださったのです。(第9回はこちら:本物の牧者に出会えた!、第1回から読む)
初めての牧会
ちょうどそんな時、フラー神学校の日本人フェローシップの集会で証しをする機会があった。すると、私の話を聞いていた在日韓国人の女性が私に、どこの教会に通っているのかと聞いてきた。「今までパサデナのカルバリー・チャペルだったけれど、来週からコスタメサのカルバリー・チャペルに行きます」と答えると「そのコスタメサのカルバリー・チャペルから10分くらいのところに牧師のいない日本人教会があるから、そこで教えてもらえないか」と言われた。
あまりのタイミングに驚き、「いいですよ」と承知したのだが、他に3人ほど候補がいて、「日曜日にメッセージをしてから選ばせてもらう」とのことだった。その通りに、日曜日にメッセージをしてから1カ月後に「この教会の牧会をしてください」と言われ、その小さな教会の牧仕として働くことになった。
一方、パサデナで暮らす日本人たちと知り合う中で、家庭集会を開くことにもなった。さらに、私の中学時代の友人が隣町に引っ越してきたのをきっかけに、日本人ビジネスマンを集めて英会話伝道をしようという話も持ち上がった。
こうして私は、まだ神学生だというのにニューポートメサの教会の牧会をし、家庭集会もし、英会話伝道まで始めてしまったのだ。これはもはや無謀と言ってよかった。しかし、その時は、「できる」と思っていた。自分自身まだ整えられてもいないのに始めた働きは、きちんとした実を結ぶはずがなかった。
ニューポートメサの教会では、ある教会のメンバーが、同棲という聖書の価値観とは相いれない生活をしている若い子に教会で賛美をさせようとしたり、みんな自分がいいと思うことを好き放題やらかしてくれる。自分のやりたいことをやりたいようにやって、奉仕しているつもりになっているのだ。私はそんな無秩序な教会を監督もできないし、牧会するほど「牧師」である私は整えられてもいなかった。だから、誰も聖められていかないし、霊的に成長もしていかない。
そんな中でも、一方的なあわれみによって神が働かれることがあった。その教会に来ていた女の子に会いたいのが理由で、ポルシェに乗って現れた若い男性がいた。駆け出しの私が福音メッセージを語った後で、「信じる人は手を上げてください」と招くと、彼が手を挙げているので驚いた。彼によると、それから1週間食事が喉を通らなくなり、新約聖書を全部読んでしまったというのだ。私は、「これは神業だ!」と興奮した。しかし、ギャンブル好きな彼に、教会のあるメンバーが「社会科見学でカジノに連れて行って」とねだって、彼らは連れ立ってカジノに行ってしまったというのだ。私はそのことを後から知ったので、止めることもできず、せっかく神が引き寄せられた彼なのに、そのメンバーは逆に世の楽しみに戻してしまったのだ。2年間の短い牧会の中で、これほど悔しく残念なことはなかった。
最終的に、みんなと話し合ってこのニューポートメサの牧会はやめることにした。その頃にはもうフラーを中退し、チャックの教会の隣のアパートに引っ越していたが、パサデナで始めた家庭集会だけは続けることにした。この家庭集会に出ていた人たちの中から、後に日本への宣教者となった人たちが出たことだけは、慰めになっている。
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