これは、キリストが自分史に介入されたことの証しです。神はあわれみ深く、恵み深い方であり、こんなにも愚かで情けない者も、神に叫び求めると神が救ってくださったという証しです。キリストは、こんな者をも愛してくださったのです。(第8回はこちら:妻に出会う、第1回から読む)
「本物の牧者」との出会い
米国生活が長かった私は、日本に来る米国の牧師の中には上目線で話す人もいることを知っていたので、最初はちょっと構える感じでチャックの話を聞いていたのだが、彼の口ぶりや様子は謙遜そのもので、例話でも自分や自分の家族の失敗話しかしない。そして、これは言葉で説明するのは難しいのだが、この人から神の愛があふれている、ということが伝わってきて、私の警戒心はみるみるうちに解かれ、それどころかある時点まで来ると心がパーンと開いて、涙があふれ出してきた。聖書には「神が心を開かれた」という箇所があるのだが「これがそれか」と思わされるものだった。
彼は、聖書に書いてある神の言葉を淡々と愛をもって語っていただけなのだが、その愛が触れることができそうなくらいリアルに感じられた。そんなことは初めてだった。また、テゼで祈った「本物の牧仕、本物の兄弟姉妹を与えてください」という祈りが応えられたということが直感的に分かったのだ。
この時のことを思い出すと涙が出てくるという症状が1週間続くほど、私は彼の存在と彼が語った神の言葉に心をつかまれていた。
チャック・スミスは翌年1992年春にも再び来日した。彼がカルバリーチャペルの創始者であることも、フランクリン・グラハム(有名な説教者ビリー・グラハムの息子)が「牧者になりたいならチャック・スミスに学べ」と言っているほどの人であることも、私は何も知らなかったが、彼の説教を聞くと、ここまで分かりやすく聖書を解き明かしている人に出会ったことはかつてなかったと思えた。彼のメッセージを聞いていると、こちらのことを真心から思って、心配して、愛をもって語っているのが伝わってくるのだ。
また、彼が伴ってきた弟子ともいうべき後輩牧師たちとの関係も素晴らしかった。米国人は普通、上下関係がなくフラットな立場で相手に接するものだが、チャックと後輩牧者たちとの間には明確に縦の関係があった。だが、チャックは後輩たちを心から愛し、後輩たちはチャックを信頼し、尊敬しているので、その上下関係に嫌なものを少しも感じないどころか、「麗しい」と感じられるのだ。
再び米国へ――神学生の3足のわらじ
そのチャックの後輩牧者の一人が米国のフラー神学校を卒業したというので、また米国に戻って聖書の勉強をしたいと考えていた私は「フラーっていい学校ですか?」と聞いてみた。すると「いい学校だ」という答えが返ってきたので、私はまた米国に渡り、フラー神学校に入学した。
ところが、通ってみるとフラー神学校は私の性分にはどうにも合わなかった。どうにか2年は通ったのだが、結局あと4クラスを残して中退することになった。代わりに通ったのが、チャック・スミスが開いているスクール・オブ・ミニストリーという教会の塾のようなところだ。小規模ながらプログラムはしっかりしていて、内容も充実していた。
渡米してから最初の1年半は、フラー神学校に通うために住んだパサデナにあるカルバリー・チャペルに通っていた。チャックと同じグループの教会だが、パサデナの牧者はチャックではない。その教会の牧者は、私に「アッシャーをやってみないか」と奉仕をする機会を与えてくれた。集会での案内係、ビルの外側の窓拭きやトイレ掃除、駐車場見回りなど、たくさん奉仕した。アッシャーのリーダーはメキシコ系の人で、聖書をよく知っていた。ほとんどのカルバリー・チャペルは、創世記から黙示録まで学ぶので、そこで長く学んでいる兄弟姉妹は、神学校で学び始めた学生よりも聖書をよく知っている。私は大学院の神学校に行っていたのだが、彼の方がよほどよく聖書を知っていたので驚いた。
それなりになじんでいたが、半年後、妻が日本からやって来て合流すると、このパサデナの牧者の言っていることが早口で聞き取れないと言う。一方、チャックはゆっくりしゃべる人だった。そこで、もともとチャックの教会に行きたくて米国に来た側面もあったわけだし、パサデナからだと車で45分くらいかかるが、コスタメサにあるチャックの教会に通おう、ということになった。
写真の説明
チャックと私たち夫婦、長女(実は長女は妻の下にいる)と次女と一緒に、カルバリーチャペル・コスタメサにて。この教会はジーザス革命(ジーザス・レボリューション)を通してキリストを信じた若者を受け入れ、養い、整え、送り出した。そのムーブメントを指導したのが、チャック・スミス牧者。最初、たった24人の兄弟姉妹で始まった。しかもその半数同士はぶつかっていたのだ。そこから世界中に向かって、2千以上の教会が生まれた。まさに聖霊の力強い働きによって生まれたムーブメントだ。
チャック牧者は、創世記から黙示録まで13回教える機会に恵まれた。神の計画(生きる指針)の全体を余すことなく教えたのだ。ここで、私はアッシャー(案内係)をさせてもらい、オフィスでも奉仕をさせてもらった。こんな極東から来た者にでさえ、実にいろいろな機会が与えられた。3年間に及び貴重な体験が与えられた。この恵みを思うとき、神に感謝が尽きない。
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