聖心女子大学(東京都渋谷区)の創立75周年を記念する特別演奏会「クリスマスと教会音楽」が3日、同大の聖マグダレナ・ソフィア聖堂で行われ、300人以上が来場した。
同大のキリスト教文化研究所が大学の創立75周年を記念し、通称「おみどう」の名で親しまれている聖堂の価値を再確認し、発信するために行っている「おみどうプロジェクト」の一環。2部構成で行われ、第1部では、同大聖歌隊が「聖心のクリスマス・キャロル」として6曲を披露。第2部は、5人のソリストと山梨バッハアカデミー・オーケストラを迎えて、甲府市を中心に活動する合唱団「甲府コレギウム・アウレウム」と同大の在学生・卒業生有志の合唱により、カミーユ・サン=サーンス(1835〜1921)の「クリスマス・オラトリオ」を届けた。
聖堂の名称は、同大の設立母体であるカトリック女子修道会「聖心会」の創立者、聖マグダレナ・ソフィア・バラ(1779〜1865)に由来する。建築家の竹腰健造が設計し、1959年に当時の土井辰雄大司教(東京大司教区)の司式により、大勢の司祭や信徒が集う中、献堂式が行われた。最大収容定員は700人に上り、大学の聖堂としては国内では類を見ない大きさだという。合唱に適した優れた音響特性を持ち、祭壇周辺には国産の天然大理石が使用されている。
演奏会は伝統的な「オラトリオの集い」を模して行われ、第1部は冒頭で、同大の在学生、卒業生、教職員の代表が共同の祈りをささげた。また、第2部は冒頭で、イエス・キリストの降誕の場面を記した新約聖書のルカによる福音書2章8〜14節が朗読された。
オラトリオの集いは、16世紀にイタリアの聖フィリッポ・ネリ(1515〜95)が始めたもので、当初は、一般信徒らが教会の小祈祷所(オラトリオ)に集まって祈り、聖書を読んで分かち合い、奉仕活動を行うなどしていたものだったという。権威化した教会の在り方が宗教改革によって問い直される中、キリストの教えを一般の人々の心に新たに届けようとする試みで、「オラトリオ」という楽曲ジャンルも、オラトリオの集いで歌うために作られた音楽に由来する。
また、この日はちょうど、クリスマスを準備する教会暦の期間「待降節(アドベント)」の初日。あいさつに立ったキリスト教文化研究所の加藤和哉所長は、「クリスマスは、この世の救いの光であるイエス・キリストの誕生を祝う時です。待降節の始まりに当たり、世界中の全ての人に、特に今もこの瞬間も苦難のうちにある多くの人々に、希望の光が届けられるようご一緒に祈りながら、一足早くクリスマスの喜びを皆様と分かち合いたいと思います」と話した。
同大聖歌隊は、30年以上にわたって指導に当たっている音楽監督の渡辺宏子氏らが指揮を執った。中世から民衆に歌い継がれてきたというグレゴリオ聖歌「Rorate Caeli(天よ、露をしたたらせ)」や、フェリックス・メンデルスゾーンが聖心会の修道女らの歌声に心引かれて作曲したという「Veni Domine(主よ、来てください)」、また同大の卒業週間に歌っているというガブリエル・フォーレの「Cantique de Jean Racine(ラシーヌの雅歌)」など、聖心会や同大にゆかりのある楽曲を中心に歌った。
第2部で歌われた「クリスマス・オラトリオ」は、日本でも「動物の謝肉祭」などで知られ、当時からモーツァルトの再来ともてはやされたフランスの人気音楽家、サン=サーンスが弱冠23歳の時に作曲した作品。作曲の1年前に、当時のフランスでオルガニスト最高の地位とみなされていたパリのマドレーヌ教会のオルガニストに就任したばかりのサン=サーンスが、わずか11日間で作曲し、1858年のクリスマスに同教会で行われたミサで初演した。
初演時は6楽章だったが、その後1863年までに4楽章が追加され、現在の10楽章となった。ソリストは第4楽章まで独唱だが、第5楽章で二重唱、第7楽章で三重唱、第8楽章で四重唱、第9楽章で五重唱と拡大していくのが特徴。全体としては、キリストの降誕をテーマにしており、野宿をしていた羊飼いの前に天使が現れ、キリストの誕生を告知し、世の人々が歓呼の声を上げ、神への賛美と信頼を歌う内容になっている。
演奏会では、甲府コレギウム・アウレウムの主宰者で、自身もソリストの一人として歌ったテノール歌手の片野耕喜氏らが指揮。最近の研究を生かし、イタリア風のラテン語発音ではなく、当時のフランスで一般的だったフランス風のラテン語発音で歌った。また、「クリスマス・オラトリオ」の演奏後には、アンコールに応え、同大聖歌隊も交えて「さやかに星はきらめき」を日本語で歌った。