フランスの教育修道会「聖心会」を母体とする聖心女子大学(東京都渋谷区)は、その前身である聖心女子学院高等専門学校が創立されてから、今年で100周年を迎える。その記念事業の一環として同大では、キャンパス内にある国の登録有形文化財・旧久邇宮(くにのみや)邸御常御殿(おつねごてん、パレス)を一般公開する。創建当時の銘木や美術品による内装など、貴重な文化財を見ることができる。
旧久邇宮邸御常御殿は1924年に建築された木造2階建ての和風建築。昭和天皇の皇后・香淳皇后の父・久邇宮邦彦王の邸宅の一部だ。47年に同大の初代学長マザー・エリザベス・ブリットが、大学校舎として使用するために買い取り、49年に現在の場所に移築された。
当初は南門を上ったところにある図書館付近にあり、久邇宮邸本館と長い廊下でつながっていた。香淳皇后は、24年の成婚の折、この本館車寄(現在のクニハウス車寄せ)より宮中に向かったという。
パレス1階の居室は全て書院造りだが、部屋ごとに趣が違っている。また中国様式を取り入れた火灯窓が、1階の和室および2階の「内謁見室」と妃殿下の書斎にも取り付けられている。
さらに、2階の書斎には作り付けの洋風書棚、「御次(おつぎ)の間」と呼ばれる居間に同様の書棚とレコードキャビネットが並ぶ。書斎、「御次の間」「内謁見室」の床は寄木細工だが、床の間や違い棚などが備えてあり、まさに「和洋中」が美しく調和された内観となっている。
主な建築材料は、台湾産の良材で、2階の廊下は台湾産のケヤキの大板を3枚つないでいる。廊下の窓にはめ込まれたガラスは当時のままであり、現在では作ることのできないガラスだという。圧巻なのは、43人の日本を代表する日本画家によって描かれた、1階の寝室2部屋と「謁見の間」にある78枚の天井画だ。現在原画は、東京国立博物館で保管され、天井には複製画が入っているが、一般公開では特別に原画も見ることができる。
当時は、学生たちが靴で出入りできるように床はリノリウム張りとし、各部屋を教授室、教室に、1階にある「謁見の間」が聖堂として使われていた。この「謁見の間」には、床の間と暖炉と火灯窓が並び、礼拝ではこの暖炉を聖壇に見立てて使っていたという。
50年に1号館が完成した後は、大学の機能は1号館などに移ったが、学生生活の場として、また、茶道・華道・かな書道・筝曲・能楽・日本舞踊など、学生への情操教育や伝統文化継承の場として使われてきた。86年に入念な修復工事が行われ、昔の「御殿」の姿が再現された。それ以降も学生の課外活動や授業などで使用されてきた。
同大企画部課長の水﨑晶子さんは、校長に就任したマザー・ブリットが戦後、旧久邇宮邸の敷地と御殿を校舎として使用するだけでなく、占領軍のカマボコ型兵舎「クォンセットハット」も校舎として払い下げを受け、新学制のもと聖心女子大学を発足させたことを話した。
水﨑さんは、「貴重な文化財であっても、使うことに意義がある」と述べ、現在学生たちが使っている茶道の道具や、立て掛けられた琴を前に、使用しながら守ってきたパレスの価値を語った。学生たちが「万年筆などインク類は持ち込まないこと」などパレスを美しく保存するためのルールを決めていたことなども明かし、学生たちがパレスを生きた文化財として守ってきたことを振り返った。
水﨑さんは、「これだけの形で皇室建築が残っているのは本当に貴重なこと。それを守っていくのが創基100年を迎える伝統を持つ大学としての使命だと思う。ただし、それを守るだけでなく、学生の情操教育の場としてもこれからも実際に使っていく」と話した。「パレスは建築としても十分に見応えがあるので、建築に興味のある人にもぜひ見てもらいたい」と強調した。
なお、今回のパレスの一般公開は、募集定員に達したため、受け付けはすでに終了している。次回の開催については、日程が決まり次第、大学公式ウェブサイトもしくは聖心歳時記フェスブックなどで案内する。
同大では、創基100周年を記念して、在学生や教職員を対象に記念のロゴマークを募集(主催:同大学創基100周年記念事業検討委員会)した。先月採用作品が決定し、表彰式が行われた。ロゴマークは、今年度を通して印刷物や掲示などに使用される。