静岡県浜松市のライブチャーチ寸座を会場に、14日から16日にかけて「ワーシップ&リーダーシップ・カンファレンス」が開催された。カンファレンスには、ヒルソング教会やインドネシアのジャカルタ・プレイズ・コミュニティー・チャーチ(JPCC)のリーダーたちがゲストとして参加。15日の「スモールグループと教会成長」をテーマにした分科会では、JPCCのゲア・デナンダ牧師とリブカ・ユスフ・ルクマン牧師が、弟子訓練やスモールグループの運営方法について語った。(後編はこちら)
弟子訓練は教会の最優先事項
ゲア牧師は、イエスがこの地上で弟子たちに語られた最後の言葉である「大宣教命令」(マタイ28:18~20)の中に、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」があることに注目。弟子訓練はイエスにとって最優先の事柄であるとし、全ての教会において、イエスの弟子をつくることがその働きの中心になければならないと語った。
一方、弟子訓練は、そのためのプログラムやコースを設けたり、イベントを催したりすることではなく、「生き方そのもの」だと強調。「弟子訓練の3カ月のコースを終了しました。だから弟子になりました。そうではないのです」と話した。
また、弟子訓練は、新しくクリスチャンになった人たちだけのものでもないと指摘。多くのクリスチャンが基礎的な学びだけでとどまり、その後、聖書を読んだり、聖句を暗唱したり、毎日祈ったりと、霊的な訓練をしていない現状があることに触れつつ、牧師である自身でさえ、今も弟子訓練をしてもらう必要があると語った。
弟子化の過程で見られる6つの変化
続いてリブカ牧師が、弟子訓練の最終的なゴールはイエスのようになることだとし、その過程で起こる6つの変化について話した。
1つ目は「心」の変化。リブカ牧師は、心の変化について「イエスが信じたことを信じる」ようになることだと説明。「イエスを信じることはできます。でも、イエスのように信じることは難しいのです」と言い、イエスの弟子として、イエスが信じていたことを自身も同じように信じていく必要があると語った。
2つ目は「人格」の変化で、「イエスが生きたように生きる」ようになること。本当のリーダーシップは、情報や知識ではなく、誠実さや人格によって成り立っているとし、「私たちは自分の人格を築くために時間を費やすべきです」と話した。また、神は私たちが居心地の良い所にとどまることよりも、人格形成のために踏み出すことに意味を見いだすと言い、参加者に一歩を踏み出すよう励ました。
3つ目は「関係」の変化で、「イエスのように愛する」ようになること。リブカ牧師は「愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです」(1ヨハネ4:8)を引用しつつ、「誰でもキリストを愛していると言いながら、他の人を愛さなければ、キリストを愛する者ではありません」と指摘。クリスチャンとして人を愛せることは、その人の成熟さを示すと言い、愛を持って導かないリーダーは本当の弟子とはいえないと話した。
また、「イエスのように愛する」とは、「イエスが受け入れたように、その人を受け入れる」ことであり、「イエスが価値を置いたように、その人に価値を置く」ことであり、「イエスが赦(ゆる)したように、その人を赦す」ことだと説明。リーダーは、チームのメンバーのために時間を費やし、関係を築くことが大切だとし、「(メンバーとの)関係を築くか、(チームとしての)完璧さを求めるかを選択しなければいけないのであれば、いつも関係を優先してください」とアドバイスした。
4つ目は「習慣」の変化で、「イエスのように訓練する」ようになること。イエスは完璧で完全であったが、それでも成長し学ぶ必要があり、自身を訓練したと話し、「イエスは知恵が増し、背丈も伸び」(ルカ2:52)、「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました」(ヘブライ5:8)といった聖書箇所を紹介した。
また、「信心のために自分を鍛えなさい」(1テモテ4:7)を引用し、「try(努める)」のではなく「train(鍛える・訓練する)」ことが求められていると説明。「(両者では)霊的な姿勢が違います。『try』であれば、大変になったらやめてしまうかもしれません。でも、『train』であれば、大変になってもやめるのではなく、ゴールを目指してコミットしていくのです」と話した。
5つ目は「奉仕」の変化で、「イエスのように仕える」ようになること。リブカ牧師は、最後の晩餐の際、イエスが弟子たちの足を洗ったことに言及。汚れた足を洗うのは、当時は奴隷がすることだった。この行為からイエスの謙遜さを見ることができるとし、神が求めているリーダーシップはトップダウンではなく、仕えるリーダーシップだと話した。
6つ目は「影響」の変化で、「イエスのように導く」ようになること。リブカ牧師は、教会を導くにはイエスと共に導くことが必要だと指摘。人間は誰しもが自己中心になり得るが、聖霊が働くとき、自己中心的な働き方から神中心の働き方に変わることができると語った。また、そのためには神との親密さを築く必要があるとし、神なし、聖霊なしで教会が豊かに実を結ぶことは難しいと話した。(続く)