彼らはそこでイエスを十字架につけた。(ヨハネ19:18)
十字架刑は当時、ローマが処刑するために用いた最も残酷で侮辱的な極刑でした。自分がかかる木を処刑場所まで持ち運び、その十字架に裸にされてくくり付けられ、手足を釘で打ち付けられました。息が絶えて死ぬまでには、恐ろしく時間がかかり、最後まで苦しみ抜くという非常に過酷なものでした。
イエス・キリストは罪を犯したことのない神の御子であり、天と地を造られた創造主である神です。その罪のない神の御子が、罪を犯して滅んでいくこの世の人々を救うために、人々の罪の身代わりとなって十字架で死なれました。イエスによる罪の贖(あがな)いを信じた者は救われて、永遠のいのちを得ます。
「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(1コリント1:18)
「ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世の罪を取り除く神の子羊』」(ヨハネ1:29)
「この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています」(コロサイ1:14)
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました」(ヘブル12:2)
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」(ローマ6:23)
キリストは3日目に死からよみがえり、12弟子や信仰者たちに復活の姿を現しました。その福音を信じる信仰者は、キリストが死んでよみがえったと同じように、死んでもよみがえり、天の御国に入ることができるのです。
私たちの希望は、この地上での死で終わることのない、永遠に朽ちない天の御国にあります。
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