イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」マルタはイエスに言った。「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」彼女はイエスに言った。「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」(ヨハネ11:23~27)
この3年間、コロナの影響により、私たちの行動は制限され、いつの間にか喜びであふれているはずのあなたの心も委縮し、思いも小さくなっていたかもしれません。
しかし、このコロナと共に過ごした3年間は、私たちの人生の中のごく一時の出来事です。私たちの人生は、恵みが豊かにあふれる、素晴らしいものであることを忘れてはいけません。私たちの信仰も新年度に向けて復活して、狭い生き方から解放され、たくさんの恵みを体験させてくださいと祈り求めていきましょう。
本日の聖書箇所を見ていきましょう。マリヤとマルタの兄弟のラザロが病気にかかり、姉妹はイエス様に使いをやり、ベタニヤに来て兄弟のために祈ってほしいとお願いします。イエス様はベタニヤに向かいましたが、到着した頃には、ラザロは死んで4日もたっていたのです。
人々が悲しみに暮れる中、イエス様はラザロの墓に行き、天に向かって祈りをささげ、「ラザロよ、出て来なさい」と叫びました。すると、墓の中から布に覆われたラザロが出て来たのです。
この物語から4つのポイントを学んでいきましょう。
1. 死んだラザロにいのちを与える主!
私たちは救い主を、ありがたい教えや立派な人生訓を下さるだけの温かくて優しい雰囲気をまとった人だと、心の中で片付けてはいないでしょうか。聖書はイエス様を、死んだ者にいのちを与える救い主だと語ります。死んだラザロにいのちを与えられた救い主が、確かにそこにおられたのです。
2. 死を越える、いのちの物語の始まり!
ラザロの復活は、人々にイエス様のすごさを示すための単なる見世物ではありませんでした。イエス様はラザロにいのちを与えることで、いのちの物語を始められたのです。
私たちがイエス様と出会うと、新しい人生の物語が与えられます。私たちの救い主は、死んでいた者にもいのちを与え、死を越える新たな人生の物語を始められるように、私たちの歩みをとことん変えてくださるお方なのです。
3. 全ての人にいのちを与える主の復活!
イエス様の物語は、人々の病を癒やしたり、悪霊を追い出したり、いのちを与えたりするなどの奇跡を起こして終わりではありません。イエス様の目標は、自ら十字架にかかり、自分のいのちを、人々の罪の贖(あがな)いとして差し出すことでした。
人々の罪を背負って、人々を罪から解放したのです。そして、私たちの罪を聖めるために、死んで終わったのではなく、死から復活することで、私たちによみがえりのいのちを与えてくださったのです。
4. 全ての人の不可能と死を越える、いのちの物語!
よみがえりのいのちを頂くときに、聖書の登場人物のみならず、あなたにとっても新しい物語がスタートするのです。このイエス様の物語を頂こうではありませんか。イエス様の復活があるからこそ、私たちの人生は悲しみで終わるのではなく、恵みに変えられます。このことを心から喜び合いたいと思います。
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