イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、かつて水をぶどう酒にされた所である。・・・病気の息子がいる王室の役人が・・・イエスのところへ行き、下って来て息子をいやしてくださるように願った。・・・イエスは彼に言われた。「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」・・・「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。彼が下って行く途中、そのしもべたちが彼に出会って、彼の息子が直ったことを告げた。(ヨハネ4:46~51)
この春の日々、神の恵みの中、神からの聖霊の力により、大胆に、神が与えてくださっているビジョンをしっかり捉え直しましょう! 信仰の世界に生きる私たちは、心に信仰の喜びや意欲があふれている者でありたいと思います。
今日の聖書箇所で、イエスがカナの町に再訪され、そこで起こった一人の子どもの癒やしの記事をヨハネは伝えています。ヨハネの福音書は、他の福音書に比べるとイエスの御業の記録は少ないのですが、大切な御業が記されています。
一つ目の奇跡、最初の奇跡として記されているのは、イエスが同じカナの婚礼の場で水をぶどう酒に変えられたという奇跡です。主は恵みを現してくださるお方として最初の奇跡を行われました。
イエスと弟子たちが、2回目にカナにやってきたとき、人々は、またすごい奇跡が見られると期待したのでしょう。しかし、イエスは救い主ですから、単なる興味や御利益的な求め方ではなく、神からの救いを頂けるような求め方をするようにと、暗に人々の信仰の持ち方を批判されたのです。
イエスの御業を体験できたとしても、神の救いを頂くためには、イエスの御業をどのように受け止めるべきか、3つのことを確認しておきます。
1. 主キリストの言葉、神の御言葉を信じる!
息子の癒やしを求めてやってきた役人に、イエスは「直っています」と言われ、その人は「イエスのことば」を信じて帰途についたのです。
私たちの信じ方のこつとして、単に奇跡が起こったから信じるという、後追いの信じ方ではなく、物事が起こる前から主キリストの御言葉を信じて神の御業を受け止めることが大切です。神の約束や御言葉を信じ、信じた通りのことが起こることを体験する信仰です。
実現する前に、神の御言葉を信じる信仰を意識しましょう!
2. 信じた瞬間に起こる神の御業!
イエスが「直った」と言われた言葉をその人が信じた時刻に、息子は癒やされたのです! 私たちがイエスを信じたときに現される神の恵みがあるのです。誰が信じたときかといえば、それはあなたが信じたときなのです!
信仰は、霊的な世界に作用します。霊的な世界は見ることができないので、事が起こったかどうか、肉眼で見ることはできません。しかし、イエスの御名によって祈るならば、その祈りはかなえられるのです。それは、霊的な力を持っての祈りですから、霊の世界で必ず何かが起こっているのです!
私たちが信じたとき、イエスのお言葉が私たちのものとなった瞬間、「その時」同時に神の御業は起こるのです。それは、現代の今でも同じです。
3. 主ご自身を救い主、癒やし主と信じる!
息子が癒やされ、「彼と彼の家の者がみな信じた」のです。何を信じたのでしょうか。すでに癒やされていたのですから、病の癒やしではありません。彼らは、救い主であり、癒やし主であるイエスを信じ、受け入れたのです。
イエスご自身を信じれば、息子が病気だった今だけでなく、これから何があろうとも大丈夫なのです。イエスは昔も今もこれからも変わらないまことの救い主ですから、私たちの人生の全てにおいて、何事であろうと、イエスを信じるなら、イエスによって、今、救われ、癒やされるのです。
イエスを信じる信仰を意識してまいりましょう!
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