信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。・・・彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、・・・数多い子孫が生まれたのです。(ヘブル11:8~12)
今年もあと半年となりました。コロナ禍から2年半がたちました。私たちの心の世界が影響を受けて萎縮しているなら、神の豊かな可能性の世界を広げて心構えを変えましょう。私たちの脳の細胞は全体の能力の5〜10%しか使っていないとよく言われますが、神が人間に与えている知識や理解、想像力の世界も本当はもっと大きいのに、私たちはわずかしか使っていないのではないでしょうか。恵みを制限しているなら、それはとても残念なことです。ヘブル11:1には「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」とあります。神を信じていないときの生き方と比べれば、桁違いのさまざまな可能性が拡大し、恵みが豊かにある人生を歩んでいくことができます。にもかかわらず、コロナの感染者数ばかり気にして不安に陥っていないか気を付けましょう。
今日の聖書箇所、アブラハムとサラが登場します。アブラハムは旧約聖書の中で特に重要な人物でイスラエル人の祖先、信仰の父、神から与えられた約束をまともに信じると、どれほど素晴らしい恵みを頂くのか、アブラハムとサラの夫婦の物語を通して皆学ぶのです。今日の聖書箇所からは2つのエピソードに着目したいと思います。
神はアブラハムを神の一方的な愛で選び出し「わたしの示す地へ行け」と命じられ、彼は行き先が分からないまま出掛けたのです。私たちの常識を超えた、神に示され導かれた人生の歩みがあります。神は、アブラハムに「あなたを偉大な国民にしよう」と約束してくださった。あなたから、一つの国民が出るようなとてつもない祝福、繁栄を体験するだろうと神は約束されました。問題だったのは、年老いてもこの夫婦に子どもが生まれなかったことです。しかし、アブラハム100歳、サラ90歳の時にイサクが生まれ、驚くべき民族の物語が始まったのです。3つのことを確認したいと思います。
1. 全てが分からなくても神の御言葉に従う
「どこに行くのかを知らないで」がキーワードになります。自分が知らなくても、神に導かれて私たちが知る以上の素晴らしい恵みの世界があることを知りましょう。与えられている脳の5%も使えない私たちの分かる範囲、知っていることはごくわずかです。私たちを愛してくださった神には、私たちが想像できないような恵みを与えることができます。信仰の世界では、知らないでも出て行けることを感謝しましょう。
2. 不可能と分かっていても神の約束を信じる
この老夫婦、子どもを授かることは不可能な年齢であったにもかかわらず、サラは神の約束を信じ、子を宿す力が与えられたのです! 信仰の世界は、知識や理屈では答えは出ませんが、天地宇宙を創られた神が共におられるとき、「それ」は起こるかもしれないのです。私たちの信じ方を広げましょう。神を信じ祈ると不可能なことが可能になるのです。
3. 約束してくださった神を信じる
サラは約束してくださった方を真実な方と信じたのです。神は真実な方で、偽ることのできないお方です。約束した通り、私たちを癒やし、救い、恵みの奇跡を与えてくださることを信じようではありませんか! 神様に祈るのですから、制限を付けず、アブラハムとサラのように偉大な神を信じて祈りましょう。
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