イエスは、その十一人が食卓に着いているところに現れて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。・・・よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかったからである。それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。・・・わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」(マルコ16:14~18)
イエスは、神が人となられ、人には実現できない、すべての人々の罪をその身に背負って死に、それによって私たちの罪は洗い清められました。そして、歴史上ただ一人、復活され、私たちに永遠の命を示されました。今日の箇所には、十字架と復活は、誰もがスムーズに信じることが難しいことを語っています。信仰が問われることであり、人間が考えて理解し、納得できるものではありません。弟子たちでさえ2度聞いても信じず、3度目にやっと信じました。私たちにも主イエスの復活を自分のこととして信じる信仰が求められています。
1. 復活の主に向き合って信仰が求められる
十字架と復活の出来事は、聖書に書かれているから知っているというレベルではなく、「私は信じます! 私の罪を清めるために十字架にかかってくださり、いつか死が訪れても、死んで終わりではなく、神のもとで生きる永遠の命を受ける喜びや平安があることを信じます」と、十字架と復活の事実と向き合って、イエス様を信じることを選ぼうではありませんか。今日、単に見物人で終わるのではなく、復活の主の力によって癒やされることを信じましょう。
2. 復活の主から与えられる使命がある
復活のイエス様と出会うと、私たちは使命が与えられます。イエスは復活を信じなかった弟子たちを、なんて不信仰なのかと叱られましたが、「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい」という使命を与えられました。11人の弟子たちは、学歴も教養もお金もなく、弱くて失敗だらけでしたが、神様からのビジョンが与えられると、彼らは本物の弟子となり、世界中に出て行き、使徒と呼ばれる働きをして、世界の歴史まで変えたのです。彼らは福音を伝え、信じる者は救われ、信じない者は罪に定められるという、ものすごい権威を与えられたのです。クリスチャンになるというのは、洗礼を受け、教会の会員になるということではありません。十字架と復活の主イエス様と一緒に生き、イエス様をいつも感じ、祈りながら生きていくことです。そうすると、人生に使命が与えられ、主も共に働かれます。
3. 復活を信じる人々に与えられるしるし
よみがえりのイエス様を信じるならば、イエス様がなされたような、素晴らしいしるし、不思議、力ある奇跡、特別な神の力による御業がなされることを体験させていただきましょう! 弟子たちは情けなくても、不信仰なままで終わりませんでした。誰であっても、神が共におられて、目標や使命が与えられ、周りの人を幸福にする人生に変えられていくことを感謝しましょう。私たちが主の御名によって祈るなら、イエス様に働いた同じ聖霊が働くのです。十字架と復活の主に向き合うとき、信じることを選択しましょう。信じるときに必ずイエス様が働いてくださいます。今日、癒やされることを信じましょう。
4. 私の主!私の神!という信仰
トマスは「私の主、私の神」と答えましたが、イエスは「見たから信じるより、見ないで神の御言葉や人々の証言を聞いて信じる方が良い」と言われました。この世には自分中心、お金もうけがすべて、死んだら終わりで今を楽しもうという情報があふれていますが、それは事実ではありません。聖書は、人は一度死ぬことと、その後、神の前に立つことが決まっていると書かれています。人生の情報戦の選択を間違わず、変わらない神の言葉に耳を傾けて、十字架と復活のイエスと共に生きましょう。
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