それから、イエスは、ペテロの家に来られて、ペテロのしゅうとめが熱病で床に着いているのをご覧になった。イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。そこで、イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみないやされた。これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。(マタイ8:14~17)
紅葉の美しさを感じる季節となりました。これからのクリスマスシーズン、日々喜びと感謝を持って歩んでまいりましょう。
今日の聖書箇所では、イエス様が伝道を始められた直後の癒やしについて語られています。イエス様は、ペテロのしゅうとめを癒やし、悪霊どもを追い出し、病気の人々をみな癒やされました。これらのことを受け、筆者はイザヤの預言や旧約時代の神様の約束が実現したと語ります(イザヤ53:4〜6、1ペテロ2:22〜25)。イエス様があらゆる病や煩いから人々を癒やしてくださるということは、すべて神様の救いのご計画です。癒やしは御心の中で備えられた特別な恵みであり、そのご計画は実現していくのです。救い主イエス・キリストによる癒やしには特別な意味があるということを覚え、3つのポイントを学びましょう。
1. 癒やしは約束されていた
癒やしは、たまたま運よく起こるようになったものではありません。イエス様がお生まれになる何百年も昔から、「彼の打ち傷によって、私たちはいやされた」という神様の約束が与えられ、預言者イザヤによって語られていました。罪深い私たちが救い主によって癒やされることは、神様がご計画された「実現されるべき約束」であったのです。
2. 癒やしは実現し、事実となった
イエス様は、熱で苦しむペテロのしゅうとめに手を置いてたちどころに癒やし、また悪霊につかれた人や癒やしを必要としていた人々も残らず癒やされました。このことからマタイは、預言者イザヤを通して語られた預言が成就し、神様の約束が事実となったことの証明だと知ったのでした。
預言は、ただ語られるだけでは終わりません。救い主イエス・キリストがこの世に来てくださり、私たちの煩い一切を引き受け、病を背負ってくださったことにより、この預言が事実となりました。
3. 信じる者に与えられる癒やし
救い主イエス・キリストの打ち傷による癒やしの御業は、イエス様がおられた時代の者だけに与えられた事実ではなく、後の時代でもキリストを救い主と信じる者には誰にでも与えられる恵みであると、ペテロは語っています。
この時代に生きる私たちにも、罪が赦(ゆる)されて魂が救われると同時に、私たちが担う痛みや煩い、病はすべて癒やされるという恵みを頂くことができます。この救い主イエス・キリストによる癒やしは、キリストを信じて教会に属すすべての信徒たちに与えられる恵みであることを感謝して受け止めましょう。私たちは今日、神様の御言葉を約束として頂き、癒やされることを感謝します。
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