イエスは…ピリポを見つけて「わたしに従って来なさい」と言われた。ピリポは…ナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。…来て、そして、見なさい。」…イエスは言われた。「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」ナタナエルは答えた。「先生。あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」イエスは答えて言われた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったので、あなたは信じるのですか。」(ヨハネ1:43~50)
先週は、アンデレとペテロが救い主キリストに会った箇所でした。今日の箇所は、友人同士のピリポとナタナエルがイエス・キリストに出会います。私たちの信仰は、学びでも修行でもなく、救い主イエス様と出会うことです。43節の「わたしに従って来なさい」という言葉を共に味わいたいと思います。
1. 私たちを招いてくださる主がおられる
主は、私たちを招いてくださいます。マルコの福音書やマタイの福音書などでは「わたしについてきなさい。あなたを人間をとる漁師にしてあげよう」と言われます。これまで魚しか捕らなかった漁師に、人々の魂を文字通り救って神のもとに導く魂の漁師へと新たな人生がイエス・キリストによって与えられたのでした。私たちの信仰の原点に立ち返りましょう。キリストと出会い、そしてキリストは招いてくださいました。神様によって招かれ、結び付けられた関係は切れないものであることをはっきりと意識しておきましょう。大成功しても、聖書に出てくる大金持ちのように、共に喜ぶ友達や家族が誰もいないようでは「愚か者」と言われます。幸せや豊かさは、周りの人々と分かち合ってこそ本物です。
2. 私たちのことをすべて知っておられるお方
ピリポに誘われてイエス様のところに導かれたナタナエルは、直接会ったこともなかった自分のことを主が知っておられることにびっくりします。私たちの知識には限界がありますが、救い主イエスは、私たちのことをすべて最初からご存じです。私たちのことを私たち以上に知っておられる救い主がいることを感謝したいと思います。醜くて弱くて、足りないところや欠点だらけの私であることを主はご存じです。しかし、神の愛の中で私たちを選んで救ってくださるのです。私たちの過去も現在も未来も、私の知らないところまで全部知っておられる主がおられることを感謝したいと思います。
どのような困難な状況の中でも「わたしに従って来なさい」と語ってくださる主がおられ、私たちのすべてをご存じの神様が、私たちの人生に、私たちの考えを超える素晴らしいご計画をお持ちであることを感謝しましょう。クリスマスに向かう秋の日々に、主の御業が私たちを通して現されることを期待して歩みましょう。
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