日が暮れると、いろいろな病気で弱っている者をかかえた人たちがみな、その病人をみもとに連れて来た。イエスは、ひとりひとりに手を置いて、いやされた。また、悪霊どもも、「あなたこそ神の子です」と大声で叫びながら、多くの人から出て行った。イエスは、悪霊どもをしかって、ものを言うのをお許しにならなかった。彼らはイエスがキリストであることを知っていたからである。(ルカ4:40、41)
イエス様を救い主として信じて歩む私たちには、癒やされる恵みが与えられていることを感謝します。今日の聖書箇所から、癒やし主であるイエス様について3つのポイントから学んでまいりましょう。
1. 初めから癒やし主であるお方
私たちには癒やしの力がないので、イエス様に癒やしを求めて祈ることが、何か「特別」なことであるように感じてはいませんか。しかし、私たちがどのように感じるかなど関係なしに、イエス様は初めから癒やし主であるお方です。イエス様のお言葉には霊的な力があり、イエス様が触れてくださるならば、確実に癒やしが起こります。
イエス様は、神の御子であり癒やし主であるというご性質を持っておられるお方です。そのようなお方が、私たちに向き合ってくださっています。私たちは、イエス様が癒やし主そのものであるということを認めましょう。
2. 霊的な権威のある癒やしの力を持つ
人々は、病気で苦しむ者をイエス様の元に連れてきました。人の目から見ると彼らは病気でしたが、中には悪霊がもたらした病的な現象を抱える人もいました。イエス様は、ただ表面的な症状を癒やしたのではなく、悪霊を追放し、霊的な根本の部分をも癒やしてくださいました。イエス様は、悪霊に対しても権威ある癒やしをもたらすことのできるお方です。
「今日は元気なので、癒やしは必要ありません」と感じている方がいらっしゃるかもしれません。ですが、悪霊によって心が疲れてしまっていたり、気持ちが落ち込んだりしてはいませんか。イエス様の癒やしは、私たちの霊的な部分にまで及びます。どんな悪霊の働きであっても、追放してくださるのです。
3. 一人一人に触れてくださる
「イエスは、ひとりひとりに手を置いて、いやされた」(40節)とあります。イエス様は、特別な人だけを選別して癒やされたのではなく、一人一人に手を置いて、癒やしを求めたすべての人を癒やしてくださいました。これが、イエス様の癒やしの本質です。私たちがどこにいてどのような状況であっても、イエス様は私たちに触れて癒やしてくださるのです。
イエス様は、私たち一人一人に触れてくださいます。ですから私たちも、一人一人がどのように応答するかが問われているのです。「わたしに何をしてほしいのか」と問われたバルテマイが「目が見えるようになることです」と答えたように、私たちも信仰を働かせてイエス様に正直に求めましょう。信仰を持って主に応答してまいりましょう。
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