ある人が盛大な宴会を催し、大ぜいの人を招いた。…ところが、みな同じように断り始めた。…しもべは帰って、このことを主人に報告した。すると、おこった主人は、そのしもべに言った。「急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい者や、からだの不自由な者や、盲人や、足のなえた者たちをここに連れて来なさい。」しもべは言った。「…まだ席があります。」主人は言った。「…この家がいっぱいになるように、無理にでも人々を連れて来なさい。言っておくが、あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わう者は、ひとりもいないのです。」(ルカ14:16~24)
神様は罪人の私たちを救い、恵みの御座に招いてくださっています。しかし、いつの間にか神様に不義理を働いてはいないでしょうか。今日は「宴会への招き」の例え話から神様の御心を学び、神様との正しい関係に立ち返りましょう。
イエス様はこの例え話を通して、神様の家とはどのようなものかを語られます。主人は宴会に招いていた人々にしもべを遣わし、準備ができたことを伝えます。しかし、人々は「畑を買ったので」「牛を買ったので」「結婚したので」…と、口実や言い訳をして宴会に来ませんでした。主人は怒って、町の大通りや路地にいる人々を連れて来るようにしもべに命じます。しもべがそのようにしても、まだ席は空いていました。ついに主人は「街道や垣根のところに出かけて行って、この家がいっぱいになるように、無理にでも人々を連れて来なさい」と命じます。そして主人は「言っておくが、あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わう者は、ひとりもいないのです」と語ります。イエス様は、せっかく神様から天国に招待されている人でも、わがままになって招きを反故にするなら、神様の恵みに入ることができないということを教えてくださいました。
1. わがままにならない
神様は、私たちにも天国の宴会の席を用意してくださっています。しかし、現在の私たちは「仕事が忙しいから」「コロナで自粛しなくてはいけないから」…と、口実や言い訳を並べて神様の招きを反故にしてしまってはいないでしょうか。もし今、神様の前に不義理を働いているのならば、まず神様に「清めてください」と祈りましょう。
日曜礼拝のことを、英語で「サンデーサービス」と言います。「サーブ」には「仕える」という意味があり、神様にお仕えすること、これが礼拝です。私たちは、神様の前にへりくだって仕える者でありましょう。そして、豊かな恵みを頂こうではありませんか。
2. 神様の深い愛と御心
この主人は、招待した人が思うように集まらなくても、途中で宴会をやめることはありませんでした。どんなことがあろうとも、最後の1席まであの手この手を使って熱心に人々を招いてくださいました。これが、神様の深い愛です。
「ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こる」(ルカ15:10)とあるように、神様はどんな罪人であろうと、招きに応じてやってくる者を拒むことはありません。主の御心は、一人でも多くの人を天国に招き入れることなのです。
3. 神の恵みを分かち合う
コロナウイルス感染症は、まだしばらく続いていくことでしょう。しかし、閉じこもってばかりいる状態が続くと、体力が衰え、心がうつ状態になってしまわないか心配です。そろそろものの見方や生き方を変えてみませんか。私たちは神様の御心を受け止め、周りの人々に神様を宣べ伝え、愛を持って励ましてまいりましょう。
私たちも、招待されています。招待を反故にはせず、主につながり、主のしもべとして歩んでゆこうではありませんか。そして、一人でも多くの人が神様のもとに集うことを共に祈ってまいりましょう。
◇