ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」…イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」…イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。(ヨハネ2:13~21)
自然界が実りの季節であるように、私たちもイエス様の前に実を結ぶ者となりたいと思います。コロナ禍の不自由さの中でも、今も生きて働かれるイエス・キリストのからだである私たちの教会は、あの手この手で神様の福音を伝えるために活動しています。クリスマスを前に、イエス様の恵み、喜び、賛美、感謝があふれる教会でありたいと思います。イエス様を証しするためにも、喜び、救いの恵み、神様の平安、聖霊の助けを頂き、まことの救い主であるイエス様の元気と力強さを日々体験していきましょう。
今日の聖書の箇所では、イエス様がメシヤ(救い主)としての働きを始められ、エルサレムの神殿に上られ、「大暴れ」されます。イエス様は常に穏やかで優しいイメージですが、時には激しく厳しく人々に向き合われたのです。人々は神殿で律法に従って動物のいけにえと祈りをささげていました。しかし、遠方から祭司に認められる傷のない完全ないけにえを携えてくるのは大変ですし、献金もローマ帝国の通貨からイスラエルの通貨に両替が必要でした。そこで、高い値で規定に適ういけにえ用の動物を売る商売人や、高い手数料を取る両替商が神殿で商売をし、祭司たちに手数料の一部を渡していたのでした。神様へのきよい礼拝の場所である神殿が、お金の絡む欲得の場所になっていたのです。
そこでイエス様は、その動物を宮から追い出し、商人の屋台をひっくり返し、「わたしの父の家を商売の家としてはならない」と言われたのです。これにユダヤ人たちが文句を言ったとき、イエス様は人々には理解できないお言葉(19節)で答えられました。これは、神殿が単なる建物や場所ではなく、イエス様ご自身だという意味でした。イエス様が私たちの罪のために十字架にかかり、身代わりの死を遂げて私たちの罪をきよめ、イエス様を通して父なる神の愛に私たちを結び付けてくださいました。そのイエス様こそ、生ける神の神殿であり、神の宮となられたのです。主の復活後、「3日で壊れた神殿を建て直す」という意味を弟子たちは悟りました。今日、ここでイエス様を信じる私たちも、このお言葉を心に留めたいと思います。
1. イエス様こそ本物の神の宮
旧約の時代にソロモンが建てた神殿は壊され、その後再建されていましたが、人が建てたものは必ず滅びます。しかし、救い主イエス・キリストこそが、罪人である私たちをとりなして神の愛と救いに結び付け、永遠に滅びることのない本物の神殿となってくださったことに感謝しましょう。
2. 本物の神殿である主が私たちと共にある
私たちは今、神の救いと祝福を頂くためにエルサレムの神殿に行かなくてもよいのです。お金を払って動物のいけにえをささげなくてもよいのです。イエス様が共におり、イエス様の名によって祈れば、まことの神様と結び付けられ、祈りは聞かれるのです。
3. 私たちの中に神の神殿がある
イエス様が共にいてくださる私たちは、聖霊が宿る神の宮です。私たちは、自分が神の宮にふさわしくきよめられているか心を配りたいと思います。身勝手、わがまま、欲得ではなく、聖霊を心に宿し、イエス様への感謝と賛美があふれ、きよめられるようにと祈りましょう。
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