2回にわたって、先人の研究を基にエフェソ書オネシモ著者説をお伝えしてきましたが、今回は私が考えている、エフェソ書の著者がオネシモである2つの理由を述べたいと思います。
ティキコが運び手とされ、なぜオネシモは出てこないのか
フランシスコ会聖書研究所から出版されている通称「フランシスコ会訳聖書」には、各書簡の前に緒論が付けられています。その「エフェソの人々への手紙」(エフェソ書)の緒論における「場所と年代」には以下のようにあります。
パウロが本書簡の著者ではないと主張する学者の中にはティキコ、あるいはフィレモン書に登場するオネシモを著者と想定する者もあるが、その多くはパウロの死後数十年を経た後に――少なくとも十年以上たってから――本書簡は書かれたとする。
ここでオネシモ著者説が出されていることには、私はそれを主張していますから当然賛同するのですが、ティキコの名前が挙げられていることにあえて注目したいと思います。ティキコをエフェソ書の著者とする論を誰が述べているのかを私は知りません。ただ、エフェソ書6章21~22節には、ティキコがこの手紙の運び手であることが示されており、そのことからティキコを著者としているのではないかということが推察されているのだと思います。
実はこの箇所は、コロサイ書がティキコについて伝えている同書4章7~8節と酷似しています。そしてコロサイ書ではそこにオネシモが一緒に記されているのです。両方の聖書箇所を記したいと思います。
7 わたしの様子については、ティキコがすべてを話すことでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟、忠実に仕える者、仲間の僕(しもべ)です。8 彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼によって心が励まされるためなのです。9 また、あなたがたの一人、忠実な愛する兄弟オネシモを一緒に行かせます。彼らは、こちらの事情をすべて知らせるでしょう。(コロサイ4:7~9)
21 わたしがどういう様子でいるか、また、何をしているか、あなたがたにも知ってもらうために、ティキコがすべて話すことでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟であり、忠実に仕える者です。22 彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼から心に励ましを得るためなのです。(エフェソ6:21~22)
コロサイ書4章7~8節と、エフェソ書6章21~22節は酷似しています。これは大変興味深いことです。ここまで酷似しているのは、エフェソ書の著者がコロサイ書の当該箇所を意識していたということは言うまでもないでしょう。そうであるならば、エフェソ書でも、コロサイ書で触れられているオネシモに関する何らかの示唆があってよいはずです。このことは、今まで何度か紹介しているルドルフ・シュナッケンブルクも、「テキコの同行者としてのオネシモ(コロ4:9)については彼は慎重に言及を避ける」(『EKK新約聖書註解(10)エペソ人への手紙』351ページ)として、エフェソ書の著者がコロサイ書の当該箇所を知りつつも、エフェソ書ではオネシモに関する記述を避けているとしています。
私はオネシモがここに登場しないのは、「オネシモがエフェソ書の著者だからこそ登場できないのだ」と考えています。コロサイ書が偽名書簡であるとしても、オネシモがパウロの同労者であるティキコ(上記コロサイ書、エフェソ書の他に、使徒言行録20章4節、第2テモテ書4章12節、テトス書3章12節も参照)と共に、パウロの何らかの手紙をコロサイ地方に運んだことは事実であろうと考えています。ことによるとそれは、今日においては外典とされている「ラオデキア人への手紙」(『聖書外典偽典(6)新約外典1』237~238ページ)であるかもしれません。以下のようなものです。
ラオデキア人への手紙
1 人々からでもなく、人によってでもなく、ただイエス・キリストを通してのみ使徒であるパウロから、ラオデキアにある兄弟たちへ。2 神、父、そして主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにありますように。3 わたしは常にわたしの祈りにおいて、あなたがたが審(さば)きの日における約束を待ち望みつつ彼(キリスト)のうちに堅く立ち、彼のわざをなし続けていることを、キリストに感謝しています。4 あなたがたはわたしが宣(の)べ伝えた福音の真理からあなたがたを遠ざけようとして語られる何人かの人たちの虚しいことばに惑わされないようにしてください。5 そして今や神が、わたしから生じたことが福音の真理の前進に〔 〕役立ち、永遠の生命という救いに達するようなよいわざを生み出すようにしてくださいますように。
6 そして今、わたしの鎖(捕われていること)が明らかになりましたが、わたしはそれをキリストにあって甘受し、うれしく思い、喜んでいます。7 このことはわたしにとって永遠の救いをもたらしてくれるのですが、それは、生命を通してにせよ死を通してにせよ、あなたがたの祈りと聖霊の助けによって生じるのです。8 なぜならばわたしにとって生きることはキリストのうちにあることであり、死ぬことは喜びであるからです。9 そしてそのことは、彼のあわれみをあなたがたのうちに働かせてあなたがたがこの愛を持ち、ひとつの思いになることを可能にしてくれるでしょう。
10 そういうわけですから、最愛のかたがた、わたしがおりました時にあなたがたが聞いたように、堅く立ち、神を畏れつつ(ことを)なしてください。そうすればあなたがたには永遠の生命が与えられるでしょう。11 なぜならば、あなたがたのうちにあって働いておられるのは神だからです。12 そしてあなたがたのなすことはなんでも疑いを持たずになしてください。
13 最後に、最愛のかたがた、キリストにあって喜び、(人々の関心を)獲得しつつある汚れた人々を警戒してください。14 願わくばあなたがたのすべての祈りが神のみ前に明らかにされ、あなたがたがキリストのみ思いのうちに堅くされますように。15 そして、すべて純粋なこと、真実なこと、慎ましいこと、正しいこと、そして愛すべきことを行なってください。16 そしてあなたがたが聞きそして受け入れたことがらを心のうちに保っていてください。そうすれば平和があなたがたとともにあるでしょう。17 〔すべての兄弟たちに聖なる接吻をもってよろしくお伝えください。〕18 聖徒たちからあなたがたによろしく。19 主イエスの恵みがあなたがたの霊とともにありますように。20 〔この手紙がコロサイ人にも読まれ〕コロサイ人への手紙があなたがたのところでも読まれるようにしてください。(青野太潮訳)
「ラオデキア人への手紙」は、この『聖書外典偽典(6)新約外典1』の中に記されている青野太潮氏の概説(231~235ページ)によるならば、キリスト教史の中では相手にされてこなかった書簡であるようです。しかし、偽名書簡であるコロサイ書の元となったものとしての、パウロによる真性書簡である可能性もあり得るようにも思えるのです。そもそもコロサイ書が偽名書簡であるならば、4章16節に「ラオディキアから回ってくる手紙を、あなたがたも読んでください」と記されているのはなぜでしょうか。
私は、コロサイ書の著者(私はフィレモンだと考えています)が、ラオデキア書というパウロの真性書簡を基にしてコロサイ書を執筆し、ラオデキア書とコロサイ書を交換させることによって、コロサイ書の価値をより高めようとしている、すなわち、コロサイ書をパウロ直筆の手紙に見せるというようなことを考えていたのではないかとも思えるのです。実際ラオデキア書には、「福音の真理からあなたがたを遠ざけようとして語られる何人かの人たちの虚しい言葉に惑わされないようにしてください」と記されていて、コロサイ書の内容を裏付けるような書簡となっています。
ともあれオネシモが、パウロの元からティキコと共に、何らかの手紙をコロサイ地方に運んだことは事実だろうと考えています。そしてそれは、オネシモにとっては人生における忘れ難い出来事だったのです。ですから、「エフェソ書の著者オネシモ」が、ティキコに対する敬意も込めて、自分の名前は出さないで、エフェソ書の最後にティキコを登場させたのではないか、というのが私の考えです。
実はこのことは、第16回でお伝えしたように、フィレモン書に登場する人名のうち、コロサイ書の著者と考えられるフィレモンとアフィアだけが同書には出てこないことと似ています。私は、コロサイ書に登場するオネシモがエフェソ書に出てこないということは、フィレモン書に登場するフィレモンとアフィアがコロサイ書には出ていないという、コロサイ書のその手法を模倣したのではないかとも考えています。
そのようなわけで、エフェソ書における「ティキコが運び手とされ、なぜオネシモは出てこないのか」ということは、同書の著者がオネシモであるということの根拠になり得ると私は考えています。これが、私がオネシモをエフェソ書の著者と考える第一の理由です。
フィレモン書におけるパウロの弟子
前回、ゲルト・タイセンによるパウロ書簡集の「元来の蒐集(しゅうしゅう)」「第一の付録」「第二の付録」論をお伝えしました。
元来の「ローマ書、第1コリント書、第2コリント書、ガラテヤ書」の4書に、第一の付録「エフェソ書、フィレモン書、コロサイ書、第1テサロニケ書、第2テサロニケ書、フィレモン書」が追加され、その後、第2テサロニケ書とフィレモン書の間に、「第1テモテ書、第2テモテ書、テトス書」が挿入されたというものです。エフェソ書がガラテヤ書よりも長いということなどをその根拠にしています。長さの順による配置が偶然とは思えず、私はタイセンのこの論理はかなり説得力を持っていると考えています。この場合、第一の付録追加においても、第二の付録である牧会書簡集が挿入された後においても、フィレモン書はパウロ書簡集の結びの書となります。
第二の付録を誰が挿入したのかは分かりません。挿入時期についても、第一の付録の追加と同じ時代なのか、あるいは後のことなのかも分かりません。今回はそこには立ち入りません。しかし、第一の付録が追加されたとき、その時点での「パウロ書簡集」を蒐集したことの「しるし」として、オネシモが自分の召命の書でもあるフィレモン書を置いたということは想定できます。
私は、そういった意味でのフィレモン書の中に、第一の付録の中の偽名文書の著者を見ることができると思うのです。パウロの偽名書簡は「パウロの弟子」がパウロの名によって書いたものであるというのは定説です。そうであれば、「しるしであるフィレモン書の中に示されるパウロの弟子たちが、第一の付録における偽名文書、すなわちエフェソ書、コロサイ書、第2テサロニケ書の著者たちであるということを、フィレモン書はにおわせている」というのが私の持論です。
フィレモン書において、あるいは他の真性書簡からの情報も含めて、パウロの弟子であることが強調されているのは、テモテ、フィレモン、オネシモの3人であると思えます。
テモテは、フィレモン書の共同差出人として名前が挙げられていますが、それはテモテがパウロに最も近しい弟子であったからでしょう。そのことはパウロの他のすべての真性書簡からもうかがい知ることができます。
フィレモンについては、パウロがフィレモン書で「それで、わたしは、あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、むしろ愛に訴えてお願いします、年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが」(8~9節)、「あなたがあなた自身を、わたしに負うていることは、よいとしましょう」(19節b)と記しており、これらはフィレモンがパウロの直弟子であることを示していると思われます。
オネシモは、言うまでもなく「監禁中にもうけたわたしの子オネシモ」ですから、パウロの弟子でありましょう。ちなみにこの言葉は「パウロがオネシモに洗礼を授けたことを意味するものではない」と私が考えていることについては、第9回でお伝えしているとおりです。
「『パウロの弟子であるテモテとフィレモンとオネシモが、第一の付録における3つの偽名文書の著者である』ということを、フィレモン書はにおわせている」というのが私の持論なのです。テモテが第2テサロニケ書の著者であることは、既に主張されていることであり、私はそれを支持しています。なぜなら、第1テサロニケ書や、使徒言行録17~18章によるならば、テサロニケの教会の状況を一番よく知っているのはテモテであり、かつ第2テサロニケ書の3人の差出人の1人として、テモテの名がそこにあるからです。同じく差出人として名前が挙げられているシルワノが共著者であるとしても、第2テサロニケ書の著者がテモテであることは強く推察できます。
そして本コラムで繰り返しお伝えしているように、コロサイ書がフィレモン書の影響を強く受けている手紙であり、フィレモン書を一番よく知っているのはフィレモンであること、フィレモンがコロサイ教会の牧会者であり問題解決の責任者であったことなどから、「コロサイ書の著者はフィレモンである」というのが私の持論です。アフィアについては、フィレモン書でフィレモンの共同牧会者とされていますから、コロサイの中の一部がアフィアによる執筆であるということは、おかしなことではありません。しかしコロサイ書は、全体的にはフィレモンによって執筆された書であると考えています。
そして、第一の付録蒐集のしるしとして置かれているフィレモン書の、その主人公ともいえるパウロの愛弟子オネシモが、第一の付録の冒頭の書であるエフェソ書の著者であるとすることは自然であると私は考えています。
フィレモン書に登場する他の人たち、アルキポ、エパフラス、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカは、パウロの弟子というよりも、協力者としての性格が強いように思えます。したがって、フィレモン書に示されるパウロの弟子たちとは、テモテ、フィレモン、オネシモであって、フィレモンの共同牧会者として妻アフィアの名が記されているというのが私の見方です。
フィレモン書に示されているパウロの3人の弟子が、第一の付録の中の偽名書簡3書の著者であり、うち2人は他の偽名書簡2書の著者と考えられることから、オネシモが冒頭の最も大きなエフェソ書の著者であるというのが、私がオネシモをエフェソ書の著者と考える第二の理由です。(続く)
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