前回、「私は、初代教会の中に壮大なノンフィクションの『オネシモ物語』が存在していたと捉えています」と申し上げ、日本のおとぎ話「浦島太郎」と重ねると分かりやすいとお伝えしました。その際に童謡の「浦島太郎」を参照しました。そしてそこで、「パウロとフィレモンとオネシモ」の系譜について以下のようにまとめました。繰り返してお伝えします。
「オネシモ物語」には、浦島太郎の物語と同じように4つの幕があります。第1幕は、フィレモン書における「召命を受けたオネシモ」です。第2幕は、コロサイ書4章9節で伝えられている「宣教者となったオネシモ」です。第3幕は、今後本コラムでお伝えする「エフェソ書を記しパウロ書簡を蒐集(しゅうしゅう)したオネシモ」です。第4幕は、第8回でお伝えした『使徒教父文書』に収納されている、「イグナティオスの手紙―エペソのキリスト者へ」に記されている「オネシモスは言い尽くせぬ愛の人」と、多くの人々から尊敬を集めた「エフェソ教会の老監督となったオネシモ」です。
今回はこの4つの幕を分かりやすくするために、童謡の「浦島太郎」を替え歌にしてみました。メロディーはもちろん「浦島太郎」の歌によりますが、原詩の2節を除く形で、オネシモの物語に重ね合わせた歌詞に書き替えています。なお、原詩の2節は「月日がたつ」という部分を、替え歌の4節の最初に持ってきています。
1. むかしむかしパウロさん
フィレモンさんへのお手紙で
オネシモさんを奴隷から
解放してと書きました
2. フィレモンさんが願い受け
オネシモさんを解放して
宣教者とするための
みやげとなった手紙です
3. 御言葉伝えるオネシモさん
信仰深く愛に満ち
おはなしを聞いた人々は
善い業に努め励みます
4. 月日がたってオネシモさん
エフェソ教会の大牧者
だけどもいつも謙遜で
みんなに好かれるおじいさん
1節は、フィレモン書に記されていることです。「監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです」(フィレモン10)というのは、オネシモの奴隷からの解放に他なりません。それができるのは、奴隷オネシモの主人フィレモンだけなのです。パウロが愛弟子フィレモンに、「恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです」(同15~16)と記しているのは、フィレモンがオネシモを「終身の奴隷ではない終身の兄弟」とするようにということであると、第13回でお伝えいたしました。そして前回お伝えしましたように、その頼みでこの物語が完結しているのではなく、このことが「始まり」だったのです。そして、オネシモは生涯その出来事を忘れることはなかったでしょう。
2節は、コロサイ書に記されていることのうち、前回お伝えしたことです。コロサイ書は、コロサイに入って来た異端的な教えを反駁(はんばく)するために、パウロの名によって記された書簡であり、それが内容の中心ですが、書簡の「結びの言葉」によって2千年後のわれわれ読者にそっと明かされていることは、オネシモが遍(あまね)く御言葉を伝える宣教者となっていたということなのです。フィレモン書におけるパウロの最大の願いは「オネシモの奴隷からの解放」ですが、さらに同書に「わたしが言う以上のことさえもしてくれるでしょう」(同21)と記されているのは、奴隷から解放したオネシモを「宣教者として立てる」ということも示している、というのが私の揺るがない論述点です。
3節は、今後本コラムでお伝えする「エフェソ書をパウロの名によって記し、パウロ書簡集を蒐集した時代のオネシモ」についてです。エフェソ書を読むと、「信仰と愛」に生き、「善い業(アガソス / ἀγαθός)」を行うことに努め励むよう促されます。この「善い業」こそ、「フィレモン書―コロサイ書―エフェソ書」をつなぐキーワードです。ただそれは、人間の行いとしてではなく、十字架につけられたイエス・キリストに倣うこととしての「善い業」です。聖書が伝えている「神の御旨」とは、このことであると私は考えています。
4節は、「イグナティオスの手紙―エペソのキリスト者へ」に登場する、エフェソ教会の監督となったオネシモについてです。そこには「オネシモスは言い尽くせぬ愛の人、肉においてはあなた方の監督であり、私はあなた方がイエス・キリストに従って彼を愛し、皆彼のようになることを、お祈りしております」(『使徒教父文書』158ページ)とあります。このオネシモスこそ、フィレモン書とコロサイ書に登場するオネシモ(聖書原典ではオネシモス)の後代の姿といって間違いないというのが私の考えです。この時、オネシモは70代でありましょうから、きっと「みんなに好かれるおじいさん」であったに違いありません。
昨日2月17日の「灰の水曜日」をもって、私たちはイエス・キリストの十字架への道を偲ぶ「レント」に入りました。神の独り子がこの世に来られて、十字架への道を歩まれたのです。それは、「だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい」(ローマ15:7)、「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦(ゆる)し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい」(コロサイ3:13)、「互いに親切にし、憐(あわ)れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい」(エフェソ4:32)という、私たちが「受け入れ合うこと」のためであり、それが神の御旨である「善い業(アガソス / ἀγαθός)を行うこと」であり、3書がそれを伝えているということが、「パウロ以後の初代教会において、パウロ、フィレモン、オネシモという師弟関係の系譜が、どのような役割を果たしていたのか」という、本コラムの主題的問いの答えとなっていきます。(続く)
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