コロサイ書の本論は4章6節で終わり、4章7節から手紙の最後までは「結びの言葉」(新共同訳聖書の表題)となります。この「結びの言葉」においては、フィレモン書と多くの人名が共有されています。コロサイ書とフィレモン書のこの「人名の共有」について、ゲルト・タイセン著『新約聖書』の中の「コロサイの信徒への手紙」の項には、以下のように記されています。
コロサイの信徒への手紙とフィレモンへの手紙は一体である。二つの手紙は多くの人名を共有している。すなわち、テモテ(筆者注・テモテのみは「結びの言葉」でなく、1章1節)、アルキポ、オネシモ、エパフラス(フィレではパウロと共に拘禁中、コロでは教会の創設者)、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカがそれである。もし仮に、これらの人物についてのこの手紙で書かれている情報が不正確であったならば、この手紙はパウロと時間的には大変近いものであったのだから、それらの名前はたちまち取り消され、同時にコロサイの信徒への手紙そのものの信用も失墜していたことであろう。われわれは前記の名前の人物たちから成る同労者サークルが事実存在したこと、そしてコロサイの信徒への手紙がこのサークルの個々人について記していることは歴史的に当たっていると考えてよい。コロサイの信徒への手紙ではこのサークルが特定の「哲学」(2:8)と闘っている。(198ページ)
タイセンは、コロサイ書偽名書簡説に立つ新約聖書学者です。ですから、コロサイ書が偽名書簡だとしても、「われわれは前記の名前の人物たちから成る同労者サークルが事実存在したこと、そしてコロサイの信徒への手紙がこのサークルの個々人について記していることは歴史的に当たっていると考えてよい」と述べているのです。私も、コロサイ書が偽名書簡であるとしても、「人名の共有」を多く含む4章7~17節は、パウロの周辺の人物網における、何らかの歴史的事実を伝えていると思います。ですから、人名のリストが中心となる、無味乾燥に思える「結びの言葉」も、聖書を読むに有用な事柄をたくさん含んでいる部分なのです。特にフィレモン書との関連において、この箇所を読むことが有用であると、私は考えています。
今回はそのうちの7~9節を読みます。
7 わたしの様子については、ティキコがすべてを話すことでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟、忠実に仕える者、仲間の僕(しもべ)です。8 彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼によって心が励まされるためなのです。9 また、あなたがたの一人、忠実な愛する兄弟オネシモを一緒に行かせます。彼らは、こちらの事情をすべて知らせるでしょう。
ティキコは、使徒言行録20章4節に出てくる人物です。おそらくパウロと共にエフェソで伝道をした後、エルサレムに同行した人です。コロサイ書のこの箇所では、「手紙のアオリスト」という形(新共同訳では「彼をそちらに送る」と翻訳されている)において記されていますので、この手紙をコロサイに運んだ人とされています。注目すべきことは、「彼は主に結ばれた、愛する兄弟、忠実に仕える者、仲間の僕です」と記されていることです。これは、コロサイ書1章7節の「あなたがたは、この福音を、わたしたちと共に仕えている仲間、愛するエパフラスから学びました。彼は、あなたがたのためにキリストに忠実に仕える者であり」と、エパフラスに対して言われていることと共通しています。第4回でお伝えしましたが、エパフラスは「巡回宣教者」と思われます。ティキコも、エパフラスと同じように記され、使徒言行録などでパウロに同行していることなどからすると、やはり「巡回宣教者」であったでしょう。ただ、ティキコはエフェソ書にも登場しますので、本コラムでエフェソ書をお伝えする際にまた述べることにします。
さて、今回お伝えすることで最も大切なことは、フィレモン書の主人公ともいえるオネシモが、9節において再登場するということです。タイセンは前掲『新約聖書』の「フィレモンへの手紙」の項で、オネシモがここで登場するのは「フィレモン書で示されたパウロの意志が押し通されたから」であるとしています(同書104ページ)。私が本コラムでお伝えしてきたことは、フィレモン書におけるパウロの願いは、直接的には「オネシモを奴隷から解放してほしい」ということであり、「わたしが言う以上のこと」としては、「教会の働き人とすること」でした。
9節によれば、オネシモは教会の奉仕者としてパウロの周辺にいて、そこからコロサイに遣わされるのです。オネシモはもう奴隷ではありませんし、キリストに仕える者です。パウロのフィレモン書における願いは実現しているのです。オネシモはここで、「あなたがたの一人(エクス ヒューモーン / ἐξ ὑμῶν)」と言われています。これはむしろ、「あなたがたの出身」と翻訳するべきだと思います。田川建三訳『新約聖書』では、「あなたがたのところの出身である」と翻訳されていますが、この翻訳が良いと思います。「コロサイ教会出身の宣教者」ということです。おそらくオネシモは、コロサイ教会=フィレモンの家の教会の奉仕者から、今やコロサイ教会を離れ、パウロやティキコらと共に、遍(あまね)く福音を伝える者になっていたのではないかと思います。
2019年6月に「『パウロの弁護人』 世界的な新約学者が描く初代教会をめぐる思想小説」という書評を書かせていただきました。これは前掲『新約聖書』の著者であるタイセンの小説『パウロの弁護人』を読んでのものです。そこでは以下のようにお伝えいたしました。
7章において、ハンナがある集会に行ったことをエラスムスに報告します。その集会はキリスト信奉者のものであり、集会の指導者は、フィレモンという主人の奴隷であったオネシモという人物でした。ハンナは、オネシモがフィレモンから解放されたいきさつを語ります。その解放には、「フィレモンと彼の家にある教会へ」という手紙が作用しているといいます。
(中略)お分かりでしょうか。新約聖書のフィレモンへの手紙の中で、パウロが「獄中で生んだ私の子」と書いている奴隷オネシモの6~8年後の姿を、キリスト信奉者の集会、つまり教会の指導者オネシモとして、タイセンは描いているのです。私はタイセンのこの描き方について、細部は別としてではありますが賛同します。フィレモンへの手紙は、後の代から見るならば、初代教会の指導者オネシモの宣教者としてのスタートの証しとなる手紙なのです。
タイセンは、コロサイ書4章9節から、フィレモンが手紙を受け取った後のオネシモの姿を想像し、この小説を書いたと思われます。オネシモの後日談は、イエス・キリストに仕える教会の奉仕者となって、福音を伝える者となっていたということです。コロサイ書が偽名書簡であるとしても、タイセンの述べているように、そのことは歴史的事実でしょう。
私は、初代教会の中に壮大なノンフィクションの「オネシモ物語」が存在していたと捉えています。それは、今日も4つの幕が残されています。第1幕は、フィレモン書における「召命を受けたオネシモ」です。第2幕は、今回お示ししたコロサイ書で伝えられている「宣教者となったオネシモ」です。第3幕は、今後本コラムでお伝えする「エフェソ書を記しパウロ書簡を蒐集(しゅうしゅう)したオネシモ」です。第4幕は、第8回でお伝えした「イグナティオスの手紙―エペソのキリスト者へ」に記されている「オネシモスは言い尽くせぬ愛の人」と、多くの人々から尊敬を集めた「エフェソ教会の老監督となったオネシモ」です。
この4つの幕は、時間差を有しています。フィレモン書の執筆は、紀元53~55年ごろといわれています。イグナティオスが上記の手紙を書いたのは110年ごろです。私は、オネシモがパウロと出会ったのは、10代後半ではないかと考えています。そうすると、110年にはオネシモは70代前後ということになります。今回、オネシモが再登場したコロサイ書の執筆年代は、諸説があるので何とも分かりません。しかし、フィレモン書執筆から数年は経過していると思います。エフェソ書執筆とパウロ書簡の蒐集の年代も、諸説ありますが、さらにずっと後でしょう。ともあれ、「オネシモ物語」の第1幕と第4幕には50年以上の差があり、第2幕と第3幕は、その長い時間のどこかの出来事なのです。
この4幕の「オネシモ物語」を、日本のおとぎ話「浦島太郎」と重ねると分かりやすいです。浦島太郎も実は4幕でできています。その構造は、童謡の「浦島太郎」を見ると、分かりやすいです。
1. むかしむかし浦島は
助けた亀に連れられて
龍宮城へ来て見れば
絵にもかけない美しさ
2. 乙姫様のごちそうに
鯛やひらめの舞踊り
ただ珍しく面白く
月日のたつのも夢のうち
3. 遊びにあきて気がついて
おいとまごいもそこそこに
帰る途中の楽しみは
みやげにもらった玉手箱
4. 帰って見ればこはいかに
元居た家も村も無く
みちに行きあう人々は
顔も知らない者ばかり
5. 心細さに蓋取れば
あけて悔しき玉手箱
中からぱっと白けむり
たちまち太郎はおじいさん
4節と5節は、時間的には差がありませんので、同じ第4幕とすると、第1幕は、太郎が亀を助けて竜宮城に向かう場面です。第2幕は竜宮城で乙姫から歓待を受ける場面です。第3幕は乙姫から玉手箱をもらって帰る場面です。第4幕は元住んでいたところに帰った場面です。読者は、第1幕と第4幕の間に、大きな時間差を感じていないのですが、4節と5節に該当する部分を読んで、実は相当な時間差があることが分かります。そうすると、太郎が亀と出合ったことは、ほんの序幕に過ぎなかったことが分かります。そして読者は、太郎と乙姫の間に男女の恋愛や別れを読み取ったり、時の過ぎ行くことのはかなさを感じたりするわけです。
「オネシモ物語」も同じだと思います。フィレモン書を読むだけですと、「パウロが奴隷と出会って知人フィレモンに手紙を書き、それが新約聖書の中に真珠のように置かれている」と思わせるだけの書かもしれませんが、実はそれはほんの序幕であったのです。初代教会における「オネシモ物語」は、もっと壮大なのです。「イグナティオスの手紙―エペソのキリスト者へ」のオネシモと、フィレモン書のオネシモをつなげることで、「オネシモ物語」が持つ大きな時間差を知ることができます。そして、その間に起きた出来事を読み取っていくということが、私のお伝えしようとしている「パウロ以後の初代教会において、パウロ、フィレモン、オネシモという師弟関係の系譜が、どのような役割を果たしていたのか」ということなのです。(続く)
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