前回、コロサイ書とフィレモン書の関係について、ゲルト・タイセンとヘムルート・ケスターの著作から、「コロサイ書はフィレモン書の影響を受けている」とお伝えしました。このことについて、もう一人、新約聖書学者の永田竹司氏の見解もお伝えしたいと思います。『新版総説新約聖書』の中の「コロサイの信徒への手紙 永田竹司」に以下のようにあります。
これらの特徴全体を考慮すると、本書はパウロ以外の人物で、パウロの教えと手紙、特にフィレモンへの手紙を十分知っており(4章の結びの挨拶に出てくる名前はすべてフィレモンへの手紙に登場する)、新しい状況にパウロ的福音を展開することを願う人物によって執筆されたと考えられる。(301ページ)
このように永田氏も、コロサイ書の著者は「フィレモン書をよく知った人物」としておられるのです。
さて前回、「私は、コロサイ書の著者はフィレモン、もしくはフィレモンとフィレモンの妻と思われるアフィアとの共著であると考えています」とお伝えしましたが、今回はそのことについて、もう少し詳しく考えてみたいと思います。
ところで、前述の永田氏も指摘しておられる「4章の結びの挨拶に出てくる名前はすべてフィレモンへの手紙に登場する」ということ、準じて「フィレモン書とコロサイ書の登場人物の一致」ということは、私もフィレモン書について学び始めたころに随分関心を持っていたことです。
フィレモン書とコロサイ書に登場する人物を比較すると次のようになります。
フィレモン書 (記載節) | コロサイ書 (記載章節) |
---|---|
パウロ (1、9、19) | パウロ (1:1、23、4:18) |
テモテ (1) | テモテ (1:1) |
フィレモン (1) | |
アフィア (2) | |
アルキポ (2) | アルキポ (4:17) |
オネシモ (10、12、16、17) | オネシモ (4:9) |
エパフラス (23) | エパフラス (1:7、4:12) |
マルコ (24) | マルコ (4:10) |
アリスタルコ (24) | アリスタルコ (4:10) |
デマス (24) | デマス (4:14) |
ルカ (24) | ルカ (4:14) |
ティキコ (4:7) | |
ユスト (4:11) | |
ニンファ (4:15) |
このようになっています。フィレモン書の記載人名とコロサイ書の記載人名は、かなりの割合で重なりがあるのです。そしてさらによく見ると、フィレモン書に記載のある人名で、コロサイ書に記載のない人物は、フィレモンとアフィアだけなのです。
私は「なぜフィレモンとアフィアだけが、コロサイ書に記載されていないのか」ということを随分考えたのですが、並行して、フィレモンとアフィアはフィレモン書の宛先教会である家の教会の牧会者であるということ、フィレモン書の宛先教会とコロサイ書の宛先教会とは同一の教会であるということ、そうなるとコロサイ教会の牧会者はフィレモンとアフィアであるということに気付かされたのです。
クリスチャントゥデイのSNSに最近、以下の聖句と短いメッセージが掲載されました。
まさにこのフィレモン書7節の聖句は、フィレモンが家の教会の牧会者であることを示しています。「自分が救いに導いたピレモン(フィレモン)が、新たな祝福の源になっている」とありますが、それはフィレモンが家の教会の信徒に良き牧会をしているからなのです。フィレモン書4~7節を、新共同訳でもう一度読んでみましょう。
4 わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。5 というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。6 わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています。7 兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。
「聖なる者たち(教会に集う信徒のこと)一同に対するあなたの愛」
「あなたの信仰の交わりが活発になるように」
「聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです」
パウロのこれらの言葉は、フィレモンが家の教会の単なるパトロンではなく、牧会者であることを示していることにまず気付かされました。フィレモンとアフィアはおそらく、アキラとプリスキラのような夫婦牧会者でありましょう。
そして、そうであるならば、オネシモがコロサイ書4章9節で「あなた方の出身」とされていることから、「フィレモンの家の教会とコロサイ教会は同一」であり、「コロサイ教会の牧会者はフィレモンとアフィアである」ということに気付かされたのです。なお、「フィレモンの家の教会とコロサイ教会は同一」については、「エパフラスがフィレモン書とコロサイ書に登場していることからも説明できる」ということも、本コラムで今後お伝えしたいと考えています。
さて、「フィレモンとアフィアがコロサイ教会の牧会者である」とするならば、「コロサイ書の著者はフィレモン、もしくはフィレモンとアフィアではないだろうか。そして、コロサイ教会に問題が起きた際に、パウロの言葉として手紙を書き、問題を解決しようとしたのではないだろうか」と考えるようになったのです。コロサイ書を読み進めていくと分かるのですが、コロサイ教会は「偽りの教えを吹聴する者たちによる教会のかき乱し」という危機に直面していました。そのような危機に対してこの手紙が書かれたとするなら、書くべき責務のあるのはコロサイ教会の牧者でありましょう。それはフィレモンでありアフィアなのです。そして、「自分たちが著者であるならば、さすがに自分たちの名前は出さないだろう。だからコロサイ書には2人の名前が出てこないのではないだろうか」というのが、私がこの件に関して考えてきた経緯です。
このように、「コロサイ書の著者はフィレモン、もしくはフィレモンとフィレモンの妻と思われるアフィアとの共著である」と考える第一の理由は、「フィレモンとアフィアがコロサイ教会の牧者である」ということです。ただし、「アフィアが共著者である」ということは、私自身が必ずしも確信を持っていることではありません。後述しますが、「コロサイ書の中には、ここはアフィアによって書かれたのではないかと推し測れる部分がある」といえるのみです。ですので、「アフィアが共著者であると推し測れる」ということも念頭に置きながら、今後は「コロサイ書の著者はフィレモンである」という設定にしたいと思います。
私のこの考えを補強するものとして、前回お伝えしました「フィレモン書は、半分は私信であるのだから回覧される必要がなく、おそらくフィレモンの家の教会=コロサイ教会に残されていたものであろう。そうであれば、フィレモン書をよく知った人物がコロサイ書を書いたといってもその人数は限られており、フィレモン書に記載のあるフィレモン、アフィア、アルキポ、オネシモのうちの誰かであろう。さらに、コロサイ書の内容から考えると、オネシモとアルキポは除外され、残るのはフィレモンとアフィアの2人のみになる」ということがあります。これは後日気付かされたことです。
フィレモン書の本論が「フィレモンに対してオネシモの奴隷解放を願っている」ことであるならば、パウロが書いたこの手紙を最もよく読んだのはフィレモンでありましょう。私が「コロサイ書の著者はフィレモンである」とする第二の理由は、「コロサイ書はフィレモン書をよく知っている人物によって書かれた書簡であり、フィレモン書を最もよく知っている人物は、他でもないフィレモンである」ということです。
さて、もう一つのことを取り上げておかねばなりません。それは随分前からいわれている「エフェソ書オネシモ著者説」が関係します。
『パウロによるキリストの福音III』(市川喜一著、天旅出版社)に以下のようにあります。
エフェソ書のこのような性格から、エフェソ書を「パウロ書簡集」をまとめた人物が、その書簡集を出すにあたって、パウロ思想への案内として、いわばパウロ書簡集の「カバー・レター」として、自分でパウロ思想を要約したのではないかという推察がなされます。そうすると、第一候補としてオネシモの名が浮かびあがります。事実、E・J・グッドスピードという学者は、このような観点からオネシモを著者であると強く主張しています。(301ページ)
市川氏は、キリスト福音誌「天旅」のホームページにも著作の文を掲載しており、その「パウロによるキリストの福音III」の「第5章 奴隷も自由人もない(フィレモン書簡)」の「第二節 パウロ書簡集とオネシモ」にも、同じ内容が掲載されています。このように、E・J・グッドスピードという学者が「エフェソ書オネシモ著者説」を説いていることを紹介しています。ただし、この説があまり受け入れられていないことも併記されています。
私はこの「エフェソ書オネシモ著者説」が正しいと考えています(その理由については、回を改めて書くことにします)。一方で、エフェソ書はコロサイ書から大きな影響を受けているということは、聖書学においては多く支持されていることです。そうなるとどうしても、フィレモン書の著者パウロと、エフェソ書の著者オネシモの間に、「パウロの弟子であり、かつ奴隷から解放されたオネシモの『制度上の父』(第13回参照)であるフィレモン」が入ってくると考えざるを得ないのです。なお、コロサイ書の著者が「パウロの弟子である」ということは、新約聖書学における「コロサイ書を擬似書簡とする立場」においては、多く認められていることです。
もっともこの「エフェソ書の著者オネシモとフィレモン書の著者パウロをつなぐフィレモン」という点は、コロサイ書フィレモン著者説の「根拠」というまでにはならないかもしれません。しかし私は「フィレモン書」「コロサイ書」「エフェソ書」を関連付けて読んでみると、どうしてもこの3つの書簡の間に一本の筋を見ざるを得ないのです。
本コラムの目的は、「パウロ以後の初代教会において、パウロ、フィレモン、オネシモという師弟関係の系譜が、どのような役割を果たしていたのか」だと申し上げてきましたが、それは「フィレモン書」「コロサイ書」「エフェソ書」を、パウロ、フィレモン、オネシモによる著作物として、その師弟関係の系譜の中で読み解いていくことに他なりません。次回以後、そのような視点を持って、しかし空想の世界に入り込むのではなく、さまざまな注解・見解を踏まえながら、コロサイ書を読み解いていきたいと思います。
最後に「なぜアフィアが共著者だと思うのか」について記しておきます。コロサイ書は、3章18節から突然に筆致が変わります。それまでは「直面する敵対者に対する反論としてのキリスト論」が展開されていたのに対し、一転して家族に向けられた内容になるのです。この部分は「家庭訓」とも呼ばれており、当時の地中海世界に広まっていた「訓示・心得」が採用されているなどともいわれていますが、それでもなお私は「この部分はアフィアが書いたのではないか」と推し測っているのです。しかしそれは推測にすぎず、コロサイ書は全体的には「パウロの弟子であるフィレモンによって書かれた」と考えています。(続く)
※ フェイスブック・グループ【「パウロとフィレモンとオネシモ」を読む】を作成しました。フェイスブックをご利用の方は、ぜひご参加ください。
◇