本コラム執筆の目的は、「パウロ以後の初代教会において、パウロ、フィレモン、オネシモという師弟関係の系譜が、どのような役割を果たしていたのか」ということです。そのことを明らかにするためにまず、「発端」であるフィレモン書を読んでまいりました。そのフィレモン書の考察は、今回が最後になります。
今回は、フィレモン書の拙集中構造分析を、第5回に続いて、再度全文を添えてお示ししたいと思います。
あいさつ文と祝祷 | A | 1~3節 | A´ | 23~25節 |
祈り | B | 4節~5節 | B´ | 22節 |
善い行い | C | 6節 | C´ | 21節 |
牧会 | D | 7節 | D´ | 20節 |
フィレモンへの愛 | E | 8~9節 | E´ | 19節b |
オネシモの過去と今 | F | 10~11節 | F´ | 18~19節a |
オネシモの送り帰しと迎え入れ | G | 12節 | G´ | 17節 |
パウロの元からフィレモンの元へ | H | 13~14節a | H´ | 15~16節 |
善いことが自発的になされる | I | 14節b(中核部) |
A「あいさつ文と祝祷」
1 キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する協力者フィレモン、2 姉妹アフィア、わたしたちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。3 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
B「祈り」
4 わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。5 というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。
C「善い行い」
6 わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています。
D「牧会」
7 兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。
E「フィレモンへの愛」
8 それで、わたしは、あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、9 むしろ愛に訴えてお願いします、年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが。
F「オネシモの過去と今」
10 監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。11 彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています。
G「オネシモの送り帰しと迎え入れ」
12 わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。
H「パウロの元からフィレモンの元へ」
13 本当は、わたしのもとに引き止めて、福音のゆえに監禁されている間、あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思ったのですが、14a あなたの承諾なしには何もしたくありません。
I「善い行いが自発的になされる」(中核部)
14b それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです。
H´「パウロの元からフィレモンの元へ」
15 恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。16 その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。
G´「オネシモの送り帰しと迎え入れ」
17 だから、わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモをわたしと思って迎え入れてください。
F´「オネシモの過去と今」
18 彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください。19a わたしパウロが自筆で書いています。わたしが自分で支払いましょう。
E´「フィレモンへの愛」
19b あなたがあなた自身を、わたしに負うていることは、よいとしましょう。
D´「牧会」
20 そうです。兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、わたしの心を元気づけてください。
C´「善い行い」
21 あなたが聞き入れてくれると信じて、この手紙を書いています。わたしが言う以上のことさえもしてくれるでしょう。
B´「祈り」
22 ついでに、わたしのため宿泊の用意を頼みます。あなたがたの祈りによって、そちらに行かせていただけるように希望しているからです。
A´「あいさつ文と祝祷」
23 キリスト・イエスのゆえにわたしと共に捕らわれている、エパフラスがよろしくと言っています。24 わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです。25 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。
前回、「HとH´」から、「オネシモがパウロの元からフィレモンの元に帰るに当たって、パウロはフィレモンがオネシモを奴隷から解放することを願っている」と私は考えていることをお伝えしました。その「HとH´」の間に挟まれる中核部Iの短い文章が、この手紙における、パウロの願いの信仰的な動機であると私は考えています。
I 14b それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです。
「善い行い(アガソス / ἀγαθός)」という言葉は、第5回でお伝えしましたが、6節にもありました。その際に「パウロの言う『善いこと(アガソス / ἀγαθός)』とは、イエス・キリストの十字架と共に死に、復活によって義とされた者の歩みのことです」と書かせていただきました。これは信仰者の本質的なことであると思います。それは、「独り子をこの地上にお遣わしになった神のご意志に応答すること」と言い換えることもできるでしょう。6節では、パウロはフィレモンがこのことを、家の教会の中で聖なる者たち(キリストにある信徒のこと)に、霊の交わりとして行うことを願っていたわけです。それに対して14節では、オネシモに対して個人的に、「善い行い(アガソス / ἀγαθός)」がなされるとされているのです。
2つの「アガソス / ἀγαθός」は、この手紙の肝要的なものであると思います。オネシモを奴隷から解放してほしいというこの手紙で最も大事な願いは、キリスト信仰者としての愛と信仰に基づき、自発的なものとしてなされることが願われています。集中構造分析で見るならば、それが手紙の最中核部なのです。地球の内核が地球全体にエネルギーを与えているように、この手紙では「善い行い(アガソス / ἀγαθός)が、強いられたかたちでなく、自発的になされる」ということが、手紙のメッセージ全体にエネルギーを与えているように感じられます。
ところで第9回で、「集中構造分析における『EとE´』から外側(A~E、E´~A´)は教会宛ての公文書、『FとF´』から内側(F~I、H´~F´)はパウロからフィレモンへの私信という見方もできると思います」とお伝えしました。それを図式化すると以下のようになります。
A~E 家の教会宛ての公文書
F~F´ パウロからフィレモンへの私信
E´~A´ 家の教会宛ての公文書
第5回でもお伝えしましたが、集中構造分析では、6節は21節と対になっています。6節も21節も、家の教会宛ての公文書の文脈において書かれているものです。21節をもう一度見てみましょう。
21 あなたが聞き入れてくれると信じて、この手紙を書いています。わたしが言う以上のことさえもしてくれるでしょう。
第5回でも、「『わたしが言う以上のこと』とは、善い行い(アガソス / ἀγαθός)の内容である」とお伝えさせていただきましたが、これを上記図式に照らし合わせますと、21節は教会の中でなされる「奴隷解放以上の『善い行い(アガソス / ἀγαθός)』」ということになります。この手紙でのパウロの本質的な願いは「オネシモの奴隷からの解放」という個人的なことであるわけですが、21節の「それ以上のこと」とは、教会の働き人とされることを意味していると思えるのです。パウロがフィレモンに願っている3つの「善い行い(アガソス / ἀγαθός)」は、「聖なる者たちの間での霊による交わりの活発化」「オネシモの奴隷からの解放」「オネシモを教会の働き人とすること」でありましょう。この中で最も重要なことが、「オネシモの奴隷からの解放」であろうというのが、私のフィレモン書の考察における結論です。
今回で、フィレモン書単独に対する考察は終了致します。私の考察は、「集中構造分析を重要視したもの」という、今日の聖書研究においては、まだ市民権を得ていないであろう方法によるものであることは率直にお伝えしておかねばなりません。しかし私は、この方法で聖書を読むことによって、多くの箇所において、今まで気が付かなかったことにたくさん気付かされてきました。すでに私のコラムにおいては、「カインとアベル(創世記)」「時の賛歌(コヘレト書)」の分析はお示ししてきており、お伝えするのはこのフィレモン書で3例目になるのですが、皆様はこの解釈方法をどのように捉えられているでしょうか。フェイスブックグループなどでご意見をいただければ幸いです。
次回からは、コロサイ書とエフェソ書を、このフィレモン書での内容と関連付けることによって、「パウロ以後の初代教会において、パウロ、フィレモン、オネシモという師弟関係の系譜が、どのような役割を果たしていたのか」というこのコラムの目的を遂行していきたいと思います。(続く)
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