前回までにおいて、フィレモン書から、パウロがフィレモンに望んでいるのは、「聖なる者たち(特にフィレモンの家の教会=コロサイ教会の信徒)の間での霊による交わりの活発化」「オネシモの奴隷からの解放」「オネシモを教会の働き人とすること」であるとお伝えしてきました。今回からはそれらのことを元にして、この手紙がどのように影響を及ぼしていったかを、コロサイ書とエフェソ書に見ていきたいと思います。実はそれがまさに、当コラムの執筆目的である「パウロ以後の初代教会において、パウロ、フィレモン、オネシモという師弟関係の系譜が、どのような役割を果たしていたのか」ということであるからです。
真性書簡と擬似書簡
さて、上記の目的を持って書いている本コラムにおける最大の問いは、「コロサイ書とエフェソ書は誰が書いたのか」ということです。
それを明らかにするための考察の前提として、「真性書簡・擬似書簡問題」をもう一度取り上げておきたいと思います。真性書簡とは、パウロ書簡集の中でパウロ本人が書いた書簡で、擬似書簡とは同書簡集の中でパウロの弟子がパウロの名前で書いた書簡です。これに関して私は、本コラムの第10回で、良寛の言葉を後世に伝えた貞心を例にして説明しました。良寛の言葉は、実は貞心という良寛の弟子の尼僧によって伝えられているのです。それと同じように、パウロの言葉を後世に伝えた弟子がいたとしても何ら不思議ではありません。
パウロの真性書簡と擬似書簡は、今日ではもっぱら以下のように分類されています。
真性書簡:ローマ書、第1コリント書、第2コリント書、ガラテヤ書、フィリピ書、第1テサロニケ書、フィレモン書
擬似書簡:エフェソ書、コロサイ書、第2テサロニケ書、第1テモテ書、第2テモテ書、テトス書
真性書簡と擬似書簡について、必要以上に論ずることはやめておきたいと思います。本コラムを進めていく上でお伝えしておく必要のあることは、「コロサイ書とエフェソ書はパウロの弟子が書いた擬似書簡である」ということです。特にエフェソ書が擬似書簡であることは、今日の聖書学において広く認められていることです。ただし、聖書解釈において保守的な立場の人たちはそうは考えず、「パウロの直筆である」としておられることも承知しています。コロサイ書については、そう見る人がより多いと思います。この立場の違いはどうすることもできず、論じ合っても意味はありません。私は「コロサイ書とエフェソ書は擬似書簡」であるという自身の聖書解釈の立ち位置から論じていきたいと考えています。
フィレモン書とコロサイ書・エフェソ書の関連
最もお伝えしたいことは、フィレモン書→コロサイ書→エフェソ書という関係性です。コロサイ書はフィレモン書に影響を受けており、エフェソ書はコロサイ書に影響を受けているということです。
新約聖書学者のゲルト・タイセンは、『新約聖書―歴史・文学・宗教』において、コロサイ書を擬似書簡に分類しつつ、「コロサイの信徒への手紙とフィレモンへの手紙は一体である」(198ページ)と言っています。すなわち、コロサイ書は「パウロが直接書いたものではないが、フィレモン書と密接である」ということです。
また、『新しい新約聖書概説(下)』(ヘルムート・ケスター著、永田竹司訳)には、以下のようにあります。
コロサイ4・10以下に現われる名がどれほど歴史的現実に関連するかを述べることは困難である。10の名前のうち、7つはパウロのピレモンへの手紙にも出ており、コロサイ書の著者が手本として使用したこのピレモンへの手紙から取られたと思われる。しかし、テキコ(コロ4・7)は、ここ以外ではただエルサレムへの献金を携える代表者たちの表にのみ現われ(行20・4)、その表は、信頼できる真正なものと思われる。従って、コロサイ書の名前の幾つかは、少なくともパウロの同労者たちのある者たちの個人的知識に由来すると考えられる。総じて、著者は、パウロの手紙の知識というよりは、パウロの告知と伝道について熟知していたことに依拠していると思われる。事実、我々に知られている全パウロ書簡のうち、コロサイ書の著者はただピレモン書だけしか知らなかったようである。(345ページ)
つまり、コロサイ書の著者はフィレモン書を知っていたということが言われているのです。コロサイ書の著者が、現存するパウロ書簡集の中でフィレモン書しか知らなかったようである、という点には少々違和感を持ちますが、コロサイ書の著者がフィレモン書を知っていたという点には同意します。実際、コロサイ書を読みますと、フィレモン書で見られる「以前(かつて、ポテ / ποτέ)・~今(ニュン / νῦν)」(第10回参照)という構文や、「善い行い(アガソス / ἀγαθός)(第14回参照)といった言葉が使われており、フィレモン書の影響を受けていることを感じさせられます。
もっともこれらの言葉はエフェソ書でも使われていますから、エフェソ書はフィレモン書とコロサイ書から影響を受けているとも取れます。ただし、エフェソ書はフィレモン書からの直接の影響というよりも、コロサイ書を経ての影響と思われます。エフェソ書がコロサイ書の影響を受けているということは、多くの学者が認めていることですので、詳しい説明はここでは割愛します。ともあれ、次のように言うことができると思います。
「フィレモン書を親の書簡とするならば、コロサイ書は子の書簡であり、エフェソ書は孫の書簡である。コロサイ書とエフェソ書を書いたパウロの弟子は、フィレモン書をよく知っている人物である」
コロサイ書は誰が書いたか
私は、コロサイ書の著者はフィレモンであると考えています。もしくはフィレモンの妻と思われるアフィアとの共著であるかもしれません。後者についてはこれといった証明ができるわけではなく、「そうかもしれない」という程度ですが、フィレモンが書いたということは、幾つかの根拠を示せると考えているのです。
フィレモン書をよく知っている人たちとは?
ケスターの「コロサイ書の著者はフィレモン書を知っていた」、そしてタイセンの「コロサイの信徒への手紙とフィレモンへの手紙は一体である」という指摘を勘案すると、コロサイ書はどうやらフィレモン書を知っているパウロの弟子が書いたということはいえそうです。
パウロの真性書簡は、おおむね教会に向けて書かれています。ですから、それぞれの書簡はまずは宛先教会でよく読まれたでしょう。パウロは手紙によって「教え」を書き、受け取った教会の人たちも、手紙を「教え」として読んで実践していったと思われます。しかし、宛先教会といっても単一の教会のみに宛てたのではなかったと思われます。複数の教会で回覧されたであろうことが、実はこのコロサイ書4章16節の「この手紙があなたがたのところで読まれたら、ラオディキアの教会でも読まれるように、取り計らってください。またラオディキアから回って来る手紙を、あなたがたも読んでください」から明らかにされています。コロサイ書が擬似書簡であっても、この部分による「手紙の回覧」ということは、聖書学においては大切にされていることのようです。
しかしフィレモン書は、半分に当たる1~9節と19b~25節は教会に宛てた内容ですが、その間の10~19a節は「オネシモの奴隷からの解放」を願う、フィレモン個人に宛てた私信であることを、これまで確認してきました。つまり他の真性書簡6つは、幾つかの教会で回覧された可能性があり、さらには複写されることによってもっと多くの教会で読まれたと考えられたとしても、フィレモン書はその内容から、そうした必要性はなかったと思われます。この手紙は回覧される必要はなく、フィレモンの家の教会、すなわちコロサイ教会にのみ残されていたものなのではないでしょうか。そうすると、フィレモン書を知っている人物は限られてきます。名宛人であるフィレモンかアフィアかアルキポ、あるいはオネシモということになるでしょう。教会の他の信徒ということは考えにくいです。
しかし、コロサイ書4章9節には「あなたがたの一人、忠実な愛する兄弟オネシモを一緒に行かせます」とあり、また同17節には「アルキポに~と伝えてください」とあるので、オネシモとアルキポはこの手紙の著者からは除外されます。
こうなると、フィレモンとアフィアが残されます。しかし、これだけでフィレモンとアフィアを著者にしてしまうことは到底できません。次回以降は、フィレモンか、もしくはフィレモンとアフィアが共著者として、この手紙を書いているということを、さらに確立していきたいと思います。そこに実は、「エフェソ書の著者はオネシモ」という、以前からある説が関ってもくるのです。(続く)
※ フェイスブック・グループ【「パウロとフィレモンとオネシモ」を読む】を作成しました。フェイスブックをご利用の方は、ぜひご参加ください。
◇