今回から、フィレモン書の本題である「オネシモについてのパウロの願い」を取り扱います。最初に、いつものようにフィレモン書の拙集中構造分析を呈示させていただきます。
あいさつ文と祝祷 | A | 1~3節 | A´ | 23~25節 |
祈り | B | 4節~5節 | B´ | 22節 |
善い行い | C | 6節 | C´ | 21節 |
牧会 | D | 7節 | D´ | 20節 |
フィレモンへの愛 | E | 8~9節 | E´ | 19節b |
オネシモの過去と今 | F | 10~11節 | F´ | 18~19節a |
オネシモの送り帰しと迎え入れ | G | 12節 | G´ | 17節 |
パウロの元からフィレモンの元へ | H | 13~14節a | H´ | 15~16節 |
善いことが自発的になされる | I | 14節b(中核部) |
ゲルト・タイセンは、『新約聖書―歴史・文学・宗教』において、フィレモン書を「これは私信にこの上なく近いが、それでも私信ではない。(中略)パウロがこの手紙をフィレモンの家の教会宛てにし、そうすることによって、フィレモンが問題を私事と看做(みな)さず、むしろ教会の文脈で解決してくれるようにという期待を表現していることが含まれる」(102ページ)と書いていますが、私もこの説を支持しています。この手紙は、半分は教会宛ての公文書であり、半分はフィレモン(もしくはアフィアも含む)宛ての私信なのです。
そう捉えますと、上記の集中構造分析における「EとE´」から外側(A~E、A´~E´)は教会宛ての公文書、「FとF´」から内側(F~I、F´~H´)は私信という見方もできると思います。その意味では、今回からは私信の部分を読むことになります。集中構造分析によるテキスト解釈は今日、必ずしも普遍的な解釈方法とは受け止められていないと思いますが、私は聖書を読む際にこの方法は有用と考えています。
今回は集中構造分析されたテキストのうちの、「オネシモの過去と今」とキーワードを付けたF(10~11節)とF´(18~19節a)を取り上げます。
F 10 監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。11 彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています。
F´ 18 彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください。19a わたしパウロが自筆で書いています。わたしが自分で支払いましょう。
ここで初めて、この手紙の話題の中心であるオネシモが登場することになります。そしてそれは、集中構造において初めて登場するのですから、「最初から読んでも、最後から読んでも」ということになります。「EとE´」から外側の部分だけを読んでも、オネシモのことはまったく分からないのです。
集中構造のこの対称箇所では、次のような問いを立てて読んでみると、理解しやすいかと思います。
- オネシモはなぜパウロのところに行ったのか
- 「監禁中にもうけたわたしの子」とはどういう意味か
- 「以前は~今」という言い回しは何を意味しているか
- 「役に立つ」「役に立たない」は何を意味しているか
- オネシモは結局どういう存在であったか
以上の5点に絞ってコラムを進めてまいります。
1. オネシモはなぜパウロのところに行ったのか
フィレモン書で伝えられているオネシモについては、今日までにさまざまな解釈がなされてきました。そのうちの主なもの3つを挙げてみることにします。
① オネシモ逃亡奴隷説
オネシモについては、キリスト教界に「伝説」があるようです。それは、主人フィレモンのところで盗みを働き、フィレモンの元から逃亡し、逃亡中につかまって牢獄(ろうごく)に入れられ、獄中でパウロと出合ったというものです。キリスト教界では、伝統的にこの説が取られてきたようですが、「オネシモ逃亡奴隷説」の根拠は、実は聖書のどこにもありません。集中構造分析による同じキーワード枠の18節に、「彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください」とありますから、オネシモがフィレモンとの間に何らかの問題を起こした可能性は読み取れます。しかし「逃亡奴隷」であることはどこにも根拠がありません。
② 調停依頼説
それに対して、世界の新約聖書学者たちの間では今日、「オネシモは主人との間におそらく何らかの問題が生じた奴隷で、パウロに仲裁を依頼した」という説が出されています。前記ゲルト・タイセンやチャールズ・B・カウザー(『現代聖書注解 ガラテヤの信徒への手紙』著者)といった人たちがこの説に立っています。10節に「監禁中にもうけたわたしの子オネシモ」とありますが、オネシモはこの時必ずしも牢獄の中にいたと考えなくてよいと思います。使徒言行録24章23節には、パウロがカイサリアで監禁されることになった際の様子が描かれています。そこには「パウロを監禁するように、百人隊長に命じた。ただし、自由をある程度与え、友人たちが彼の世話をするのを妨げないようにさせた」と記されています。エフェソもカイサリアも同じローマ帝国ですから、こういったことはフィレモン書執筆時も同じであったと考えられます。パウロは監禁されていたとしても、知人たちが会うことは妨げられていなかったと考えられるのです。オネシモが、牢獄の外から獄中のパウロに会っていたとしても、何ら不自然ではありません。その点からも、①の「オネシモ逃亡奴隷説」は、脆弱な説なのです。
③ 奉仕者オネシモ説
実は、オネシモがなぜパウロのところに行ったのかということについては、もう一つの説があります。それはヘンリー・ウォンズブラ著『ビジュアル版聖書読解辞典』に記されている説です。そこには、この説を提示している学者の名は上げられていませんが、「フィレモンがパウロを助けるために期間限定でオネシモを遣わしていたが、その期限がきてしまったため、パウロが筆をとり、オネシモがいると助かるので期限を延長させてほしいと頼んだという可能性」(264ページ)とあります。つまり、オネシモはフィレモンに対して何か悪いことをしたためパウロの元に行ったということではなく、主人フィレモンの命令で、パウロの世話をするためにエフェソの牢獄に行っていたという説です。13節の「本当は、わたしのもとに引き止めて、福音の故に監禁されている間、あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思ったのですが」を根拠にするならば、この説は十分に考えられるものです。オネシモについては、実はこのような説さえも存在しているのです。
さて、私自身はどの説に立っているかと申しますと、②と③のはざまにいます。私自身のフィレモン書全体を捉える捉え方からすると、③になるのですが、18節の「彼があなたに何か損害を与えたり」という一文の解決がどうしてもできず、オネシモはフィレモンに、何かしら不義のある奴隷ではないかという考え方を排除することができないでいるのです。いずれにしましても、①すなわち逃亡奴隷説は、私は可能性としてないと考えています。
2. 「監禁中にもうけたわたしの子」とはどういう意味か
パウロは、オネシモを「監禁中にもうけたわたしの子」と呼んでいます。「わたしの子」をどう解釈したらよいでしょうか。これについては、獄中のパウロがオネシモに洗礼を授けたとする解釈が一般的です。しかし、この手紙と同じ宛先であると考えられるコロサイ書3章22~24節には、次のように記されています。
奴隷たち、どんなことについても肉による主人に従いなさい。人にへつらおうとしてうわべだけで仕えず、主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。
コロサイ書のいわゆる「奴隷訓」といわれるものです。本コラムではいずれコロサイ書も扱いますので、その時また詳述させていただくことになると思いますが、ここを読む限り、フィレモンの家の教会=コロサイ教会の奴隷たちは、キリスト教信仰を持っていたことが想定されます。良い悪いは別として、奴隷たちに「信教の自由」があったとは思えません。つまり、主人フィレモンがキリスト教を信仰していれば、オネシモを含む奴隷たちも同じ信仰を半ば強制される状況があったと想像できます。ですから、パウロの元に行ったオネシモが、キリスト教信仰を持っていなかったということは考えにくいのです。そうしますと、獄中のパウロがオネシモに洗礼を授けたということは、どうもありそうもないことです。
では、「監禁中にもうけたわたしの子」というのは何を意味しているのでしょうか。私は、これは獄中でオネシモを宣教者として生み出したことを意味していると考えています。一つには、ラビの師弟関係のようなものを結んだのではないかと考えています。獄中のパウロは、オネシモに会って彼の聡明な賜物(たまもの)に気付き、律法や預言書を教えたのです。『現代新約注解全書 ガラテア人への手紙』で、著者の佐竹明氏が引いている注の一節には、「ある人が他人の息子に律法を教える場合、聖書は、彼が彼〔他人の息子〕を産んだかのように彼を見なす」(412ページ)とあります。そのため私は、当時の文脈において、福音宣教に必要な律法や預言書を教えることによって、パウロがオネシモを弟子としたということを、一つのこととして考えます。
もう一つ考えられることとしては、パウロがオネシモに対して宣教者として按手(あんしゅ)を授けたのかもしれません(テモテ一4章14節「あなたの内にある恵みの賜物を軽んじてはなりません。その賜物は、長老たちがあなたに手を置いたとき、預言によって与えられたものです」参照)。いずれにしましても、私はここの「わたしの子」というのは、オネシモに洗礼を授けたということではなく、宣教者として生み出したということだと考えています。
少し長くなってきましたので、今回の箇所は次回もう一度お伝えさせていただきます。(続く)
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