2008年まで、世界で唯一のヒンズー王国として知られたネパールの爆発的な教会成長は、2021年になる今も続いている。ある統計では年間5~8パーセントの成長を持続しているという。最新の情報では信者の数は130万人近くに達する。
人々が福音に心を開くきっかけとなっているのが“病の癒やし”だ。これは他の途上国や地域にも見られる同じ傾向で、地理的、経済的な理由などから近代医療に頼ることのできない人々の間では、呪術的療法に頼らざるを得ない。キリスト教徒の祈りを通して与えられる神癒の恵みは、他の土着の宗教のそれを圧倒的に凌駕(りょうが)しているのだ。
教会成長の牽引役は100人以下の“家の教会”で、これらの教会は有機的に機能し、同じような教会を次々に生み出す。一方、建物中心の教会はプログラム的になりがちだという。また、地方の教会は実践的であるのに対し、都会の教会は学習意欲が旺盛だ。
しかし、ネパールでも“祝福”と“戦い”は同時並行に進んでおり、迫害も厳しい。
キリスト教は、すべての人間は神のもとに等しい価値を有すると説くが、その教えはカースト文化のピラミッド構造とは相いれない。迫害者らは、このままではネパールのヒンズー教がすべてキリスト教に変わってしまうと脅威さえ感じているのだ。
隣国のインドと中国は、ネパールでのキリスト教への弾圧に肯定的だ。前者はヒンズー教擁護の宗教的理由、後者はキリスト教徒がチベット独立に加担することをけん制する政治的理由だ。
また、ネパールの教会は成長するにつれて多くの困難に直面している。最大の課題は、貧困や迫害ではなく、自分たちの信仰を説明し教えることのできる牧師の不足だ。あるグループは教会や家庭での指導者の育成や訓練に力を注いでいる。
また教会が成長すると、その地域では、キリスト教徒は勤勉で正直だと評判が立ち、就職やビザの取得に有利であるため、間違った理由で入会を希望し、洗礼証書だけを求める者があるという。いずれにしても、迫害の中で成長を続けるネパールの家の教会は、新約の教会モデルにとても似通っている。彼らは嫌われ、称賛され、病人を癒やし、貧しい人を助け、罪人を変革している。
ネパールで主イエスを信じることは、二級市民の烙印が押され、いろいろな場面で排斥され、時には家族や友人から絶縁されることもある。信者らには決して小さくない犠牲が要求されるのだ。それでも日々教会に加わる人々は絶えない。彼らは教会の主である方が与えるいのちを望んでいるのだ。
迫害にもかかわらず、今日もネパールの教会は成長をやめない。ネパールの教会がさらに聖霊の後押しを受けて、国内のみならず世界に貢献する強靭(きょうじん)な群れとなるよう祈っていただきたい。
■ ネパールの宗教人口
ヒンズー 75・0%
プロテスタント 2・9%
カトリック 0・02%
イスラム 4・4%