岡上菊栄の高知博愛園での働きは40歳から80歳までの40年間でした。昭和22年4月22日が博愛園での菊栄の最後の日でした。子どもたちと朝食を済ませて庭に出ると、柔らかい日差しがあたりを包み、菊栄を見つけた子どもたちが庭へ集まってきました。紀(とし)がムシロを持ってきて広げると、子どもたちは菊栄の周りに座りました。以下、武井優氏が記録している通りに記しておきます。
「皆におばあちゃんがお話しするのもこれが最後になりました。皆はほんとうに素晴らしい子どもですよ。どこにいても背筋を伸ばして、胸を張り、堂々とまことをもって一日を送ってくださいね。楽しかった日々をありがとう。おばあちゃんはどこにいても、皆のことは忘れませんからね。ありがとう。ほんとうにありがとう」
話を終えると、菊栄は門に立ちました。
「おばあちゃん、さようなら」
「おばあちゃん、ありがとう」
子どもたちの声に送られて、菊栄は門を出てゆっくりと杖をつきながら歩き始めました。菊栄は十歩進むと、立ち止まって振り向きました。また数歩進むと振り向きました。何度も何度も同じことが繰り返されました。紀はその時の菊栄の様子を次のように記しています。
「この時の菊栄先生には鶴のような気品とおかしがたい凛(りん)とした威厳がありました。着ている着物は普段着ですから粗末なものでしたが、ぴしっと着ておられました。やはり社会事業に挺身(ていしん)した人間の理想の姿といいますか、菊栄先生の崇高な精神が、全身からにじみ出ているように感じられました。子どもたちと一緒に、私はその姿が見えなくなるまでお見送りさせていただきましたが、立ち止まって、子どもを見返るときのお顔は慈愛に満ちていました。そのあまりの神ごうしさに涙が出たほどです」
岡上菊栄は5人の実子と三百数十人の子どもたちを立派に育て上げ、81歳でその生涯を閉じました。「おばあちゃんはここぞね」と刻まれた記念碑が現在、博愛園の庭に建てられています。高知に、いや日本に、このような一人のキリスト者が生きていたということに心が揺さぶられるではありませんか。(完)
(出典:武井優著『龍馬の姪・岡上菊栄の生涯』鳥影社出版、2003年)
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