キリスト教、特に福音主義の世界観において、「罪」とは「的外れ」(ギリシャ語で「ハマルティア」)。だからどんなに頑張っても、心を入れ替えても、キリストの十字架を信じなければ救われないということになる。
この考え方を敷衍(ふえん)するなら、キリストを信じて救われた者は「善」の側に、そうでない者たちは「悪」の側に存在することとなる。そして善と悪は対極的な概念であるが故に、説教として語られる世界も、大まかにいうなら「善悪二元論」的な(ここが大事!)世界観で解釈されることとなる。
だが果たして、私たちは「的外れな存在(罪人)」を断罪することができるのだろうか。そんな思いにさせられるのが本書である。著者はロンドン大学ユニバーシティーカレッジ(UCL)の教授にして心理学者のジュリア・ショウ氏。何と女性である。なぜ「女性」ということに驚くかというと、取り上げられているトピックスを見ると分かる。こんな感じだ。
第1章 あなたの中のサディスト―悪の神経科学
第2章 殺すように作られた―殺人願望の心理学
(中略)
第5章 いかがわしさを探る―性的逸脱の科学
第6章 捕食者を捕まえるために―小児性愛者を理解する
そして小見出しには、こんな言葉が並ぶ。
「ヒトラーの脳」「連続殺人犯」「精神障害」「SM」「動物性愛」「ナチ」「レイプカルチャー」「テロリズム」
ジェンダー論的には問題発言となるだろうが、私が本書を手に取り、目次を眺めたときに想像した著者の姿は、しかめ面をして白いひげを蓄えた大男だった。しかし、巻末のプロフィール写真を見るまでもなく、「ジュリア」という名から、著者が女性であることが分かった。正直、こんなテーマを女性が扱って大丈夫なのかと思った。そもそも、キリスト教系のメディアでは、ほとんどお目にかかることのない単語ばかりが小見出しには並んでいる・・・。
だが、当の本人はあっさりと冒頭でこう述べている。
私がすべての人に求めるのは、最初はわからない、わかるべきでないと感じる行動についての議論を、もっと情報に基づいておこなうことだ。わかろうとしなくては、ただ自分には理解できないという理由から他者の人間性を奪い、人を排除する危険性がある。しかし私たちは、悪と決めつけてきたものを理解しようとすることはでき、またそうしなければならない。(4ページ)
本書は、アプリオリに「罪人」と決め付けてしまいたくなる衝動を一旦横に置き、周りから見ると異常性に満ちた言動をする者たちの精神構造を、心理学に基づいて再構築した論文集である。「論文集」といっても、決して専門家以外お断りというような難解さはない。むしろ、分かりやすく解説してくれるからこそ、各章のラストで語られる衝撃の事実に読者は震撼(しんかん)させられることになる。
それは、どの結論も「どんな人間もこのような性向、志向を大なり小なり抱いている」というものだからである。著者はこう語る。
邪悪な脳、邪悪な性格、邪悪な特質といったものなど存在しないらしい。そういったものを好きなだけ探しまわり、心理検査を受けさせ、社会的レッテルを貼ることはできても、最後には人間の複雑で微妙な側面の中で身動きが取れなくなるだけだ。(中略)悪事を働く人と働かない人の脳に違いがあるとしても、その違いに注目するより、共通点に目を向けるほうがずっとすばらしいことになるだろう。(50~51ページ)
第8章において、人がどうして「服従する」ようになるかが語られている。ここに至って、もはや小見出しで挙げたような性向を抱き、映画などでヒーローたちによって滅ぼされてしまう「怪人・モンスター」たちは、自分たちが「正しい」と信じている者たちによって生み出された「想像の産物」でしかないことが分かる。それは個々人ではなく、集団の一員として焦点をぼかす中で生み出される「没個性化」現象の成れの果てであり、「服従」した人間の姿なのである。この境地に至った者たちは、他者をも名もなき存在、つまり「非人間化」された対象と見なして、非道の限りを尽くすことができるし、そうしても良心は痛まない。
そうだとしたら、誰が「善」の側で、誰が「悪」の側にいるといえるだろうか。そう著者は私たちに訴え掛けてくる。
だが、こうも言えるだろう。本書のような心理学的研究の結果、人は誰も相手を「罪人」として断罪できない。なぜなら、そういう要素がどんな人間の中にも備わっているのだから。それは逆説的に、すべての人が「善」の側に立つことはできないということも意味している。聖書の次の言葉の通りという結論を、本書は導き出しているともいえるだろう。
義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。(ローマ3:10~12)
本書は読むのに覚悟がいる。そしていつしか、「自分はあの人とは違う」と言うことなどできない、すべての人間が地続きで、それぞれの性格や言動はグラデーショナルにつながっているということを教えられる。だから著者は、人を勝手にカテゴライズしてはならない、そんな特殊な「悪」などアプリオリに存在するわけではないと訴える。
だが私は、だからこそ人は罪ある世界と向き合わねばならず、その人生は前述のような聖書の言葉によって導かれなければならないと教えられた。
自身の中にある「罪性」とまともに向き合う勇気のある人には必読の一冊である。
■ ジュリア・ショウ著、服部由美訳『悪について誰もが知るべき10の事実』(講談社、2019年9月)
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