自分の人格を傷つけられることは、人間にとって最も苦痛なことの1つだろう。うわさが真実でも、中傷的な内容であっても、いずれにしろこれらは人を通して広まり、うわさされている張本人は、それに対して無力であることに気付くのではないだろうか。
人格を傷つけることは、その人の信用や評判を落とし、名誉を傷つけ、その人が誰かと良い関係を築いていく妨げとなる。また、多くの人から信頼されていたときにはあった機会も奪われてしまう。これらは、その内容が本当か間違っているかはさておき、人が他人について悪く話すときに起こる。最終的には、中傷する人がより多くの支持や賛成を得る一方で、被害者は友人からでさえ信用を失ってしまう。
聖書の中にも、中傷される人たちが出てくる。ヨブは、主の御前でサタンに人格を攻撃された。パウロは、裁判で嫉妬深いユダヤ人に言い掛かりをつけられた。そして、主イエスご自身でさえ、ピラトの前でファリサイ派の人々から悪く言われたのである。
彼らが経験したことは大変なことであった。しかし、後には偉大な名誉を授かった。試練の後、ヨブは彼が失ったものの2倍以上の祝福を受けた。パウロは、何の妨げもなくローマで福音を伝えることができた。イエスは私たちの救いのために代価を払われ、その御名はすべてに勝る名となった。実に神は義なるお方である。
何かの理由で、あなたの人格が否定されたことはあるだろうか。たとえそうされたとしても、立ち上がり、それを乗り越えていくための幾つかの方法と聖句を紹介しよう。
1. 真実に立つ
中傷は、事実を誇張したり、話をでっちあげたりすることによる、平凡なうそによって特徴付けられる。真実を確認しよう。また、あなたの側に非がある場合は、主の前でそれを悔い改めよう。真実を知り、そこに立とう。何にも動じないでいよう。
わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。(1コリント15:58)
2. 主の前に持って行く
神は「復讐(ふくしゅう)はわたしのすること、わたしが報復する」(ローマ12:19)と言われる。あなたの状況を主の前に持って行き、助けを求めよう。覚えておこう。ヨブに正義を、パウロに安全と特権を、主イエス・キリストに栄光をもたらしたのは神であった。神はあなたの切なる祈りや願いを聞いてくださるのだ。
愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。(ローマ12:19)
3. あなたを中傷する人を祝福する
あなたのことを怒らせたり、傷つけたりする人に復讐する最善の方法は、その人を祝福することだ。聖書は、あなたを迫害する人々のために祈り、あなたを傷つける人々を祝福するようにと言う。そうすることは、彼らの告発や中傷的な発言が間違っていることを証明するだけでなく、真実を知らなかったがためにうそを信じ、間違ったことをしてしまった中傷者やその仲間にも潔白を示すことができる。しかもこれには、大きなおまけが付いている。あなたはこのようなことを通してでさえ、皆に福音を伝えることができるのだ。
あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。(ローマ12:14)
あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。(同12:20)
あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を飲ませよ。こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに報いられる。(箴言25:21、22)