人は自分ではどうすることもできないことが多くある。その一つが、自分の親を選べないこと。そして、男性か女性かを選ぶこともできない。また、母の胎を分け合って「双子」として生まれてくることが運命づけられているとしても、それにあらがうこともできないだろう。
筆者は「一人っ子」である。双子とは対極にある存在だが、この「一人っ子」という呼び名から連想されるさまざまなネガティブイメージに呪縛されてきたことを思うと、状況は異なれど、「双子」と呼び慣らされてきた「二つの命」は、いつしか共依存的イメージに縛られ、それから解放されることを願うようになったとしてもおかしくはない。人は出生に関する「運命」を甘受するしかなく、それにあらがおうとするなら、それはまさに果てることなき「影踏み」をするに等しいこととなる。
本作「影踏み」は、そんな双子の物語である。しかし、何を語ろうとしてもすべてネタバレとなってしまうため、これ以上物語に踏み入ることはできない。原作は横山秀夫の同名小説。『半落ち』『クライマーズ・ハイ』『64(ロクヨン)』など、重厚でスリリングな社会派エンターテイメント小説の旗手である。その彼が「ノビ師」という空き巣犯罪者を主人公にしたのが本作である。短編連作の形態である原作小説を一本の長編映画に仕上げたのは、篠原哲雄監督。篠原監督は「月とキャベツ」のヒットで名を上げ、最近では野村萬斎主演の「花戦さ」などでメガホンを取っている。
主演は、篠原監督の出世作「月とキャベツ」でも主演を務めたシンガーソングライターの山崎まさよし。14年ぶりの主演となる本作で、「孤高の泥棒」の悲喜交々を見事に演じ切っている。
とは言え、一本の映画として観るなら本作はツッコミどころ満載である。複雑な人間関係の機微を描いているかと思いきや、意外に単純な動機で事件が発生してしまったり、ミステリー仕立てのストーリーテリングが「売り」の作品であるはずなのに、そのトリックがバレバレであったり・・・。そもそも開始30分で、本作最大の「仕掛け」は多くの人に見破られてしまうだろう。
そんないびつな作品であることを看過するなら、本作は私たちを摩訶(まか)不思議な世界へと誘ってくれるだろう。それが上述した「双子」の世界観である。本作は、(双子ではない)私たちが一般的に抱く「双子観」では捉えきれない一面を強調し、描いている。
本作のタイトルが「影踏み」とあるのも、双子の一方が取り残されたとき、まるで今まで双方向から引っ張り合っていたからそこ釣り合っていたバランスが一気に崩れ、共倒れしてしまうかのような危うさを強調しているからである。ところで、この双子の関係は果たして本当のことだろうか?
観終わってふと、聖書に登場する「双子」に思いをはせた。最も有名なのは「エサウとヤコブ」だろう。彼らは一緒に(正確にはヤコブがエサウのかかとをつかんで)生まれてきたが、その生き方は対照的であった。アクティブで細かいことを気にしない兄のエサウに対し、どちらかというとインドア派で内向的な策略家であったヤコブ。ついに彼らは、長子の権利をめぐって対立し、微妙に均衡が取れていた世界が崩壊してしまうことになる。
やはり「双子」はぶつかり合い、どちらかが(生死ではなく)消え去るようなストーリーが運命づけられているのだろうか。
かつて、知り合いの双子に話を聞いたことがあったが、一番嫌なのは「2人で一つ」と思われることらしい。言い換えるなら、個々人として自分を見てほしいし、そういうものとして扱ってもらいたいということだろう。
ヤコブも(そしてエサウも)、本作に登場する双子たちも、同じ苦しみを抱いている。そして一方が今までの日常をぶち壊し、ちぎれ飛ぶように消えていく。
だが、聖書のエサウとヤコブも、本作の双子たちも、「2人で一つ」という呪縛からは逃れられない。否、逃れようとしているうちは、心に平安が来ない、といってもいい。しかし時を隔て2人が個々人として出会うとき、そこに真の邂逅(かいこう)が生まれ、そして一致とバランスが再び生まれることになる。これは、聖書の双子たちにとっても、本作の双子たちにとっても同じ着地点である。
そこに至って筆者は心をなで下した。そういった意味で本作はハッピーエンドである。しかし同時に、その先はどうなってしまうのだろう?と思わずにはおられない。
エサウとヤコブの物語も同じである。2人はヤボクの渡しで邂逅し、互いに和解を得る。だが聖書はエサウのその後をはっきりとは描かない。フォーカスはヤコブのみに向けられる。そして「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と称されることで、エサウはイスラエルのオフィシャルな歴史から姿を消す。筆者はその後のエサウのことも気になるのだが・・・。
本作「影踏み」と、エサウとヤコブの物語とは似ても似つかない話である。しかしそれでいて「双子」というキーワードに立脚して全体を眺めるなら、共通点もまた多く見いだせるだろう。
逆説的だが、双子は2人が互いの方を向き合い、近くなることで真の個となることができるのかもしれない。そんなことを思わされる一作であり、なぜかエサウとヤコブを連想させる物語展開であった。
■ 映画「影踏み」予告編
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