近代日本における最初の女性医師として知られる荻野吟子(おぎの・ぎんこ、1851~1913)。その半生を描いた映画「一粒の麦 荻野吟子の生涯」が、26日からいよいよ公開される。
荻野が生きた明治は、男尊女卑の社会。多くの女性は読み書きもできず、嫁いで子どもを産むことだけが目的のように扱われていた。その中で、自らの体に不幸を背負いながらも、荻野は苦学の末、女性として初めて国家資格を持つ医師となる。さらにキリスト教徒として、医業の傍ら女性運動をしたり、震災孤児を引き取ったりと、さまざまな苦境に直面しながらもキリストの愛に生きる。
メガホンを執ったのは、自身もキリスト教徒である山田火砂子(ひさこ)監督(87)。現代を生きる私たちに、この一人の女性の生涯は何を語り掛けるのか。山田監督に、作品に込めた思いを聞いた。
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荻野吟子との出会い
山田監督が初めて荻野を知ったのは2007年、日本初の知的障がい児童福祉施設「滝乃川学園」を創設した石井亮一・筆子夫妻の映画を作ったときだった。滝乃川学園は、濃尾大震(1891年)の震災孤児たちを引き取って始められた「孤女学院」を前身とするが、当初学舎として使われていたのが、荻野の医院だった。荻野はその後、まだ未開の地も多かった北海道に渡るが、厳しい生活の中でも滝乃川学園への寄付を続けた。そんな荻野の生き様が、断片的ながらも山田監督の心には深く残っていた。
それから10年後の2017年、山田監督は『蟹工船』で知られる小林多喜二とその母、小林セキの生涯を描いた「母 小林多喜二の母の物語」を発表。三浦綾子の小説『母』を原作とした作品で好評を博した。その次期作を考える中、映画仲間からのアドバイスもあり、10年前に出会った荻野を取り上げることに決めたのだった。
大まかな脚本が出来上がった段階で、荻野にゆかりのある場所を幾つか訪れた。映画化の話を持ち掛けたが、反応は最初鈍く、一人で製作発表会をしたこともあった。しかし、地元の新聞社が大きく取り上げたことなどで、次第に盛り上がりを見せていく。翌年には、医学部の不正入試問題が明るみに出たことで、「日本初の女医」を扱った本作に、メディアの関心がさらに集まるようになった。
初めは荻野についてほとんど知らなかったと話す山田監督。しかし調べていくうちに、その魅力にのめり込んでいった。「どの映画を撮るときも同じ。変な言い方だけど、荻野吟子にほれないと、その人の映画なんて撮れないですよ」
「医師になる苦労話だけではスケールが小さい」
学問への志を抱きながらも、荻野は17歳の時、隣村の名主の家に嫁がされる。しかし夫から、当時は治療が困難だった性病である淋病(りんびょう)を移されてしまう。子どもを産めない体となり離縁。だがそれをバネに、自身と同じ境遇で苦しむ女性たちを救おうと、今度は自ら医師になることを決意する。女人禁制だった医学校に男装して通ったり、医師開業試験を女性にも開放するよう衛生局長に直談判したり。女性に差別的な社会と闘いつつ、10年以上の月日をかけて、とうとう34歳で、国家資格を持つ日本初の女性医師となる。
しかし山田監督は、「医師になる苦労話だけでは、スケールが小さい。何か人のために闘ったことがなければ」と話す。医師となった荻野はその後、友人の誘いでキリスト教の教会に通い始め、信仰を持つようになる。そして、身に染みて経験してきた男尊女卑の社会を改革するため、女性運動に身を投じていく。
「荻野がキリスト教に入信したのは簡単な話です。当時の日本で男女同権を語っていたのは、キリスト教の宣教師と牧師だけ。『神の目から見たら男も女も同じ』。そう盛んに叫んでいたんです。映画では、女性解放のために必死になって闘った姿も描いています。だからこれだけ関心が広まったと思います」
現代日本の女性たちよ!
一方で山田監督は、現代日本の女性たちに対しては厳しい目も向ける。「今は昔に比べて、女性の立場がただ強くなっただけ。化粧をして男性にこびを売って出世しているように見える人もいます。女性たちには荻野のように、実力で勝負してほしい。ドイツのメルケル首相のようにね」
また「今は中高生の女の子たちが、自ら数万円で自分の体を売ってしまう世の中」と嘆く。「自分たちで勝ち取ったのではなく、与えられた自由だから、どう使っていいのか分からないのだと思います。明治のような時代があったことを、彼女たちにも知ってもらいたいです」
映画のタイトル「一粒の麦」は、新約聖書にあるイエス・キリストの有名な言葉に由来する。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネによる福音書12章24節)という言葉だ。
「荻野はきっと、自分が死んで土に帰った後には、日本でも多くの女性医師が生まれることを願っていたはず」。山田監督自身もそんな思いを込め、タイトルに「一粒の麦」を選んだ。しかし、日本の医師全体に占める女性の割合は2割ほど。先進国でも最低レベルだ。「今のままでは、荻野はきっと土の中で泣いていますよ。この映画を見て、医師を志す女性たちが出てくれば本当にうれしい。日本の若い人たちも、マザー・テレサは知っている。でも、荻野吟子は知らない。それが悔しい。日本にもこんな立派な人がいたことを知ってほしいです」
「あなたも大変だったわね」と言ってくれるはず
荻野が苦労の人であれば、山田監督もまた苦労の人だ。東京生まれの山田監督は終戦時、13歳。東京大空襲を経験し、燃えさかる街の中を走って逃げた記憶は今も鮮明に残る。さらに戦後、30代で産んだ長女は重度の知的障がいを持って生まれた。当時はまだ、障がい者のための福祉サービスは皆無で、差別や偏見もひどかった。だが、それがきっかけで教会に通うようになり、自身の監督初作品は、長女との半生を題材にしたものだった。
「こんな私でも映画監督をできているのは、長女のことがあったから。私も荻野も、災い転じて福となったのかもしれないです。荻野は淋病になったことで、やる気になった。離縁した元夫は、後に地元の銀行の頭取になっています。離縁しなければ、荻野も豊かな生活をしていたはず。もちろんキリスト教徒にもなっていなかったでしょう。私も障がいのある長女がいなければ、教会に行くこともなかっただろうし、まったく違う人生を歩んでいたかもしれない。でも、どっちがいいか聞かれれば、今の方がよかった。恐らく荻野もそう思って死んでいったんじゃないかな。苦労したけど、苦労した方がよかったと。
お互い生きた時代は全然違うけど、経験した苦しみは同じ。いや、彼女の方が少し多く苦しんだかな。でも、私も相当苦しんだんだから、『吟子さん、あなたの気持ちが分かるわよ』と言ったら、『あなたも大変だったわね』と言ってくれると思います。この映画は、そんな思いで作ったんです」
映画「一粒の麦 荻野吟子の生涯」は10月26日(土)から、新宿ケイズシネマ他で公開される。新宿ケイズシネマでは公開初日、荻野を演じた主演の若村麻由美さんら出演者の舞台あいさつもある。詳しくは、映画の公式サイトを。
■ 映画「一粒の麦 荻野吟子の生涯」予告編