日本初の女性医師で、キリスト教徒として神の言葉を胸に生きた荻野吟子(おぎの・ぎんこ、1851~1913)。その半生を描いた映画「一粒の麦 荻野吟子の生涯」の完成披露試写会が29日、さいたま市のユナイテッド・シネマ浦和で開かれた。荻野は現在の埼玉県熊谷市出身で、この日は映画の製作に協力してきた埼玉県知事や熊谷市長も駆け付けた。約200席ある会場は立ち見客も出るほどで、上映前には山田火砂子監督と主演の若村麻由美があいさつし、映画に込めた思いを語った。
87歳にして現役の山田監督はこの日、杖を片手に若村と共に登場。日本初の知的障がい児童福祉施設「滝乃川学園」を創設した石井亮一の映画を製作したとき、石井の友人であった荻野の存在を知ったと説明した。しかしその時は、映画の長さの関係で荻野の場面はカット。荻野の映画を「ずっと撮りたいと思っていた」ことから、製作に着手した。そんな中、昨年には医学部不正入試問題で現在も根深く残る女性差別を目の当たりにした。「日本はまだ明治時代なのか」と思ったという。
山田監督とは本作が初仕事となった若村は、嫁入り前の10代から62歳で亡くなるまで、荻野を一人ですべて演じている。一人の女性の生涯を一人ですべて演じるのは、NHK連続テレビ小説「はっさい先生」(1987~88年放送)でデビューして以来。50代の若村にとっては「大きな挑戦」だったというが、山田監督の情熱に触れ、また荻野の生涯を知っていくうちに「本当に素晴らしい女性」と憧れを持つようになっていったという。
荻野は医師になってから教会に通うようになり、熊本バンドのメンバーで、後に同志社総長となる海老名弾正から洗礼を受ける。映画では、元ヤクザの牧師として知られる進藤龍也牧師が海老名を演じており、説教をする場面もある。「人その友の為(ため)に己の命をすつる、之(これ)より大いなる愛はなし」(ヨハネ15:13)が荻野の愛唱聖句で、夫の死など逆境の中にあっても、不屈の精神とこの神の言葉を胸に、社会の虐げられた人々のために生涯をささげた。
「一粒の麦」はこの日を皮切りに、関東地方の5都県や北海道、愛知、鹿児島の各県で有料試写会を開催する予定。10月26日(木)からはいよいよ、ケイズシネマ新宿、熊谷シネティアラ21などで全国ロードショーされる。チケットは前売り1400円、当日1800円。全国のチケットぴあ(Pコード:467-828)、または製作元の現代ぷろだくしょん(電話:03・5332・3991)で購入できる。製作協力券(1200円)でも入場可能。上映情報など詳しくは公式サイトを。
<あらすじ>
まだ男尊女卑の風習が社会の隅々にまで根付いていた明治時代。荻野吟子は17歳で隣村の名主の家に嫁がされる。しかし夫から性病を移され、子どもを産めない体となり離縁。治療のため東京を訪れるが、当時の医師は全員男性だった。治療のためとはいえ、知らぬ男性の前に体をさらすのは耐え難かった。多くの女性が自分と同じ境遇で苦しんでいることを知り、自ら医師となることを志す。家族や知人に支えられながら、当時女人禁制だった医学校に男装して通ったり、医師開業試験を女性にも開放するよう衛生局長に直談判したりするなどし、34歳で日本初の女性医師となる。
医師となった荻野は、東京女子師範学校時代の友人の紹介で教会に通うようになる。そして、同じキリスト教徒であった10歳以上年下の志方之善(しかた・ゆきよし)と再婚。医業の傍ら、女性の地位向上を求める活動をしたり、震災孤児を引き取って育てたりするなどした。しかし充実した結婚生活も束の間、志方は以前から夢見ていたキリスト教徒の理想郷を造るため、北海道へ開拓に渡る。荻野は東京で医院を続け、志方を金銭面でサポートし、後に自身も渡道。だが開拓は失敗に終わり、過酷な環境により志方は病死。夫を亡くした荻野は、再び志を新たに東京に戻る――。
■ 映画「一粒の麦 荻野吟子の生涯」予告編