作家ヒキタクニオ。彼は実在する人気作家の一人である。彼の作品は映画化もされている。例えば『凶気の桜』『鳶(とび)がクルリと』などである。そんな彼と奥さんとの「妊活ドラマ」が本作である。原作はもちろん、ヒキタクニオ氏自身の体験に基づいた『ヒキタさん! ご懐妊ですよ』(光文社文庫)というエッセイ。
一般的に知られていない分野に対し、新たな視点からその世界で葛藤する人々を描き出すという手法は非常に映画的である。古くは伊丹十三監督の「○○の女」シリーズ、周防正行監督の「Shall We ダンス?」「それでもボクはやってない」、矢口史靖監督の「ウォーターボーイズ」などがある。最近では、納棺師の所作を描いた滝田洋二郎監督の「おくりびと」、伊藤淳史主演の「ボクは坊さん。」などが挙げられる。
どれもこれも「へえ、そんな世界が、文化が、問題があったんだ・・・」と、多くの人々に思わせる啓蒙的視点に満ちている。同時に、そのマイナーな世界に向き合わざるを得ない人々の葛藤と奮闘を面白おかしく、時にはスリリングに描き出している。
本作「ヒキタさん―」は「妊活」、しかも男性の妊活模様が赤裸々に描かれている。これは作者のヒキタさんが奥さんと実際に体験した出来事であり、同時に、あまり知られていない「不妊治療」の実態を世間に知らしめる物語でもある。それは言うならば「先の見えない努力を強いられ続ける人々」のドラマである。
世の中には、欲しくもないのに子どもができてしまったという意味合いを込めて、「できちゃった結婚」なる言葉が流行した。その結果、堕胎や中絶が半ば公然と行われ、出生率に比べて受胎率はその数倍にも上るといわれている。しかし一方で、子どもを欲しいと願いつつもなかなか与えられず、病院に通って受胎するための治療を受けている人は決して少なくない。前者に比べて後者は圧倒的にマイノリティーであり、人の目に触れることがほとんどない。
劇中、主人公のヒキタさん(松重豊演)はこうつぶやく。
「どうして(欲しくなんかないと言う)アイツには子どもが与えられて、(子どもが欲しいと切に願っている)俺たち夫婦はこんな思いをしなくちゃならないんだ?」
一歩間違うと、世の中の不条理を重く鋭く告発する「社会派ドラマ」となっていく本作は、あくまでもコメディーの域を外さない工夫がなされている。実写ドラマにもかかわらず、突然チープなイラストが浮かび上がったり、これまた安っぽいCGで精子と卵子の結合を描いたり・・・。
医師から告げられる専門用語と治療法を、ヒキタさんが面白おかしく、そして分かりやすく例えてくれるため、ストーリーが分からなくなることは決してない。また、ドラマを面白くしている要素に、彼の妄想がある。例えば、彼を担当する編集者で劇中3人も子どもをつくってしまう男性に「受精大臣」、一方いくら頑張っても活発な精子を生みだせない自分を「駄目●玉大臣」と名付け、脳内世界で両者が対決する場面など、所々に漫画チックな演出を加えている。そのため、観ている私たちはあまり深刻さを感じることがなく、むしろ笑いをこらえることが困難なほどの明るさに満ちている。
だが、観ているとそんな「笑い」だけで済まされない問題も出てくる。例えば、一生懸命に母体を労わっていたにもかかわらず、「胎児の心臓音がしない」と流産してしまったり、いくら頑張っても人工授精がうまくいかず、険悪なムードになってしまったりする描写がそれである。物語後半、すべての「治療」がダメになったことを知った主人公が、奥さん(北川景子演)の後を追って桜の木の下までやって来るシーンがある。今思い出しても涙がこみ上げてくる。これは確かに「妊活」ドラマだが、先の見えない困難に向かって、勇気を振り絞って歩みを進めていこうとする「夫婦の愛」の物語なのだ。
その夫婦愛が行き着くところ、それは2人して手を取り合い「祈る」ことである。劇中、何度も夫婦は手を握り合い、体を抱きしめ合い、そして祈る。不条理感に押しつぶされそうになるとき、治療の結果を医師から告げられるとき、そしてせっかく授かった命に先天的な異常があるかもしれないと告げられたとき、彼らは祈りの姿勢を見せる。人は自分の力の限界を感じたとき、超自然的な力に頼ろうとする本能を持っているのだろう。
そしてもし「キリスト信仰」のように、確かな「祈りの対象」を持っているとしたら、その祈りはかなりの精度を保つことになるだろう。特に「私を呼べ」と語り掛けてくださる天地創造の神を受け入れた信仰者であるなら、どこに向かって祈っているのか分からない者よりも、納得ある「祈り」となることだろう。
さらにもう一つ言うなら、どこまで進歩した医療技術があったとしても、やはり最後の最後は「誰にも分からない領域」が存在することも、この作品から見て取れた。何度人工授精を試みてもうまくいかないヒキタさんが、半ばキレ気味に医師にかみつく。
「先生、一体どうしたらうまくいくんですか? さっきから『体調次第』なんて言ってますけど、どんな体調になったらうまくいくんですか!?」
それに対する医師の答えは「あくまでも体調次第・・・なんですよ。こればっかりは・・・」であった。
これはある意味、「正しい回答」だろう。どこまで医学が人間のメカニズムを解明しようとも、その先に踏み込めない領域は広がっている。そこを「科学の未開拓地」と呼ぶか、「神の領域」と呼ぶかは本筋ではない。しかしどこまで行っても、やはり私たちは神ではない。命のすべてを司る責任を負うことはできないし、誰かに背負わせることもできない。
いくら巨大な光を人工的に照らせたとしても、その先には漆黒の闇が立ちはだかっている。だがそれでいいのだろう。「生命の領域」をそこに置いておくことこそ、生命を尊厳あるものとし、「子どもを授かる」という言葉を私たちが発し続けることができるのだから。
本作は、ぜひユース世代に観てもらいたいと思う。これから結婚し、子どもを授かる世代こそ、知るべきで「悩み」である。一般的には、まるで自動ドアが開くように「子ども」を手にすると考えがちである。だが一方で、そのドアが固く、重い「岩の扉」であるカップルも存在するのだ。もし子どもが「自動に」差し出されると考えるなら、それは大きな間違いである。同時に、昨今かしましく叫ばれている幼児虐待やネグレクトに陥らない予防策の一助ともなるだろう。命は勝手につくられるものではない。「授かる」ものである。
本作は、教会の中でいろいろな切り口から議論したり討論したりすることができる。ぜひ一人でも多くの人に観てもらいたい一作である。
■ 映画「ヒキタさん! ご懐妊ですよ」予告編
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