本シリーズは、筆者がナッシュビルのミュージシャンたちとどのような交流をしてきたかを紹介するとともに、米国クリスチャンたちの愛と献身の思いを具体化したものとしての日本への福音宣教の足跡を記録として残すことを目的としている。
そのため、前回までのクライストチャーチクワイア2013年ツアーで、いったん「クワイア形式」での関わりは第一部を終えたことになる。しかし、だからといって私と彼らナッシュビルミュージシャンたちとの交流が終わったことを意味するものではない。むしろそれから個人的な関わりは深まり、そして多様化して現在に至っている。
このような関わりを生み出せたのは、彼らクワイアが帰国して後、数週間後に行われた「エンパワード21」という大会があったからである。「エンパワード21」とは、全世界のペンテコステ・カリスマ系が一堂に会する諸集会の名称である。特にアジア地区を中心にこのような大会が盛り上がりを見せ、2013年10月には、日本でこれが行われることになったのである。会場は京都の国際会議場。このメインホールを借り切っての大規模な集会となった。
実は2013年5月にナッシュビルへ私たちが訪問したとき、9月のクワイアツアーとともに、10月の「エンパワード」にもチームを送ってもらいたい、と打診をしていたのであった。それに応じてくれたのは、何とクライストチャーチの主任牧師、ダン・スコット師自らであった。そして彼と共に、以前取り上げたジェロン・デイビス氏(「Holy Ground」の作者)とその仲間たち一行が来日してくれることとなったのである。
クワイア形式ではなくとも、彼らのパフォーマンスには定評があった。そして、今度は日本のクワイアを彼らが指導することで、バックに日本人クワイアたちを従えてゲストミュージシャンが歌うというスタイルが現実のものとなったのである。
9月にクライストチャーチクワイアが帰国してわずか数週間ということで、かなりの急ピッチでの仕上げが求められたが、何とか形にすることができたようである。実際、私は諸般の事情でこの過程に寄り添うことができなかった。そして、10月の連休中に行われた「エンパワード21」の日曜礼拝とその後に行われたゴスペルジャンボリーのみに参加している。これがその時の動画である。
ここでも彼らは「日本語」で歌うことにこだわり、「Holy Ground」を日本語で歌う努力をしてくれている。ここまで徹底して「日本での宣教」にこだわる彼らの姿は、この原稿を書いている2019年においても変わっていない。要は、「来てくれませんか?」という誘いをこちらが大胆にするか、しないか、である。
約1時間のゴスペルコンサートの後、クライストチャーチ主任牧師のダン・スコット師が力強くキリストの福音の中心点を語ってくれた。2011年3月に出会って以来、いつかは日本で先生の説教が響き渡る機会を設けたいと願ってきた。それがついに実現したのである。自身もシンガーであるダン師は、いつも説教の最後に歌を歌う。今回もそのような力強い歌声と共に、集会は閉じられた。
集会後、ダン師はじめ、わざわざ時間を割いて来日してくれたメンバーと写真を撮り、語り合う機会があった。彼らは口をそろえてこう言った。「日本は1パーセント未満がクリスチャンだと聞いていた。でもこの会場を見ると、そんな考え方はどこかに吹っ飛んでしまった。熱く祈り、一生懸命に歌い、手を上げる若者たち、日本のクリスチャンで満ちている。今日は大いに感動した!」
「エンパワード21」という集会の性質上、日曜日の午後のみがクライマックスではなく、常に最高潮の盛り上がりが4日間継続していたため、彼らのみをフォーカスした記事は、当時のキリスト教系メディアでは見当たらなかった。
とはいえ、このようにして日本のために継続的に来日してくれたクライストチャーチクワイアの面々、そしてジェロン・デイビス氏、さらにダン・スコット師には、いくらお礼を申し上げても足りないくらいの愛と恵みを頂いたことを確信している。
彼らは翌年(2014年)以降、クワイアとしての来日はしていない。しかし前述したように、その形態こそ異なれど、日本とナッシュビルとの関わりはさらに深められていったのである。
次回からは、新たな装いで開始された日本とナッシュビルとの関わりについて、特に両者をつなぐために筆者が生み出したボランティア団体、JAG(Japan Association for Gospels)について語り始めたいと思う。いよいよ本コーナーも「第二部」へと突入していくこととなる。
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