クライストチャーチとの交わりが2011年3月から突然始まり、3回目の来日となった2013年。私たちは彼らを迎えるに当たって、多くの関連教会や企業との連携を図ることとなった。そもそも彼らの来日のきっかけが「復興支援」であったため、仙台との交わりを大切にしたいと思う気持ちは以前から存在していた。その後、さまざまなつてから、K興業という会社をご紹介いただくことができた。
この企業とは、震災以後に仙台、福島で除染作業を受け持ってきた会社である。地域の人々を元気にするために、さまざまな復興支援イベントを切り盛りするという前衛的な姿勢をお持ちであった。2012年の冬に仙台へ出向いたとき、社長さんと初めてお会いしたことを今でも覚えている。すべてがソフトな物腰で、それでいて音楽(特にジャズ)に対する造詣が深く、語り出すとまるで少年のような表情をされる方であった。
今回、このK興業が社員旅行を兼ねて京都へおいでくださることとなった。そして、クライストチャーチの野外コンサートに出向いてくださるというのである。コンサート会場は、市内のショッピングモールに設置されたオープンスペースであり、360度どこからでもステージを楽しむことができるように設計されたイベントエリアであった。
これに合わせて、復興支援のイベントを私たちも計画することになり、単なる「コンサート」を越えた、一つのイベントを朝から夜までのプログラムで行うことを決め、その運営を切り盛りすることになったのである。東北地方の物産展エリアを併設したり、被災された方が手作りで造られた物販を販売したりして、さながら「夏のイベント」と化す2日間である。両日の最後にクライストチャーチが登場し、90分程度のコンサートを行うのがメインイベントとなった。
しかし、ここに大きな問題が発生しつつあった。それは、なんとそのイベント当日に台風が、しかも京都を直撃するというのである。会場はもう押さえてあるし、キャンセルはできない。しかし、暴風が吹きすさぶ中で野外イベントを行うことなどできない。迷った揚げ句、雨が振り込まないエリアに客席を寄せて、限られた空間の中でイベントを決行することにしたのである。
クライストチャーチのメンバーは、この決定にいやな顔一つせずに応じてくれた。彼らは今回、日本生まれの楽曲を日本語で披露するという隠し玉を持っての来日であったため、どうしても真心を込めた曲をお届けしたかったのだろう。その曲とは、関東でゴスペルクワイアを指導されているピアノ・コージさんが作られた「主を仰ぎ見て」である。米国人にとって日本語はかなり難しいだろう。しかしその難しさをものともせず、彼らは(ピアノ・コージさん曰く)「完璧な発音」で歌うことができるようにして、来日してくれたのであった。動画は、彼らがナッシュビルの礼拝で披露した「主を仰ぎ見て」である。
それだけではない、関西一円のゴスペルクワイア、またソロシンガーなどが一堂に会し、復興支援を盛り上げようと意気込んでいたのである。だから中止はあり得なかった。ショッピングモール側も「キャンセルはよくないと思います。どんな状況でもやれる範囲で敢行してください」と、強く開催を促してくれた。そういった意味では、「雨にも負けず、風にも負けず」を地で行く一日となったことは言うまでもない。
台風で通行止めになる道路や私鉄の情報を気にしながら、私たちはコンサートの準備を急いだ。その中で、私たちにとって最高の慰めとなったのは、新生児のジャックくんであった。彼をかわるがわる抱っこし、笑顔に触れることで、だんだん雲行きが怪しくなることの不安を払拭することができた。
K興業のS社長が社員の皆さんと共に到着した途端、滝のような雨が降り始めた。機材や楽器が雨から確かに守られ、雨脚が強まっても大丈夫であることを確認し、いよいよコンサートは開催となった。雨はさらに激しく降り続け、用意した雨除け用テントの外側は一瞬にしてびしょびしょになってしまった。
しかし、出演してくださったクワイアやアーティストの方は、まったく意に介することなく、笑顔で歌い、演奏してくれた。高らかに賛美をうたいあげ、時には東北の知人のことに思いを馳せ涙し、ボランティアで被災地に行ったときのハプニングを面白おかしくMCで語ってくれた。今思い返しても、彼らの献身的な働きには頭が下がる思いである。
そしていよいよ、クライストチャーチの登場である。雨脚は幾分弱まった感がある。しかしまだまだ打ち付ける雨音は、どこにいても届く。そんな中で彼らは歌い始めたのである。すると・・・世界は一変した。(つづく)
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