ゴスペルシンガー、サンディ・パティとの出会い、そして多くのナッシュビル在住ミュージシャンとの交流を通して、次なるステップが見えてきた。それは、日本のクワイアとクライストチャーチクワイアとの合同コンサートを実施しようというものであった。
そもそものきっかけは、2012年のナッシュビルツアーの時、当時所属していた教会のクワイア・ディレクターが同行しており、彼女がクワイアローブを探していたことに端を発している。その話を聞きつけたクリス氏が、「それなら私たち(クライストチャーチ)の古いローブを差し上げましょう」と言ってくれたのである。
その受け渡しの際、クリス氏が「いつかこのローブを着て、一緒にコンサートできたらいいね」と語ってくれた。この言葉を覚えていたディレクターが皆に声掛けをし、ついに2013年5月に合同コンサートを開催しようということになったのである。
同年1月に現地にいた私は、その話をあらためてクライストチャーチ側に打診し、OKをもらっていた。つまり帰国してホッとする間もなく、数カ月後の渡米について計画立案をしなければならなかったのである。
5月、としたのはクライストチャーチ側の都合である。日本ではGW期間ということで、飛行機代が高騰するが、それは仕方のないことだった。そして2013年は、これを「ナッシュビルツアー」に充てることとなった。
このイベントは、今まで以上に大きな負荷がかかる。まず楽曲の選定、各クワイアの時間配分、そしてどんな趣旨でイベントを開催するかも議論となった。加えるなら、経済的な支援を外部に求める(協賛)ことも検討しなければならなかった。
趣旨に関しては、ほどなく決定された。やはり2011年の出会いが東日本大震災であったため、今回も「復興支援」のコンサートにしようということになった。今まではクライストチャーチのメンバーが日本各地で行っていたコンサートを、彼らのホーム、ナッシュビルへ今度は私たちが出向いて行う、ということである。
ここに強力な助っ人が加わった。仙台出身のゴスペルシンガー、KENさんが参加を表明してくれたことだ。KENさんは東北を中心にして、被災した方々の仮設住宅を訪問し、歌を通して人々に希望のメッセージを伝えてきた方である。彼の参加によって、音楽的にも日本側のクワイアが数段レベルアップしたことは言うまでもない。
加えて、コンサートのために協賛しようという会社が現れた。TOTOの米国支部である。教会の知り合いからこの話を聞き、わざわざ復興支援のための義援金に加え、コンサート当日にもアトランタから家族でナッシュビルへ来てくれることとなったのである。
さらに大きな知らせが入った。それは、2011年から懇意にしてもらっていた在ナッシュビル日本総領事が合同コンサートの趣旨に賛同してくださり、何とコンサート前日に総領事館内で晩餐会を開催してくださることになったのである。そして総領事夫妻もコンサートへ足を運んでくれることに。
さまざまな助けが与えられて、GWに向けたコンサート、そしてナッシュビルツアーが本格的に企画されることになったのである。
日本側のクワイアは、一つ知恵を絞った。単によく聞き知っているゴスペル(オー・ハッピー・デイやアメージング・グレイスなど)を現地で歌うだけでは面白くないし、自分たちの力量をはるかに凌ぐクライストチャーチクワイアの前で歌うことにちゅうちょする気持ちもある。だから、ここは独自路線も打ち出そう、という結論に至った。ゴスペルという枠にとらわれず、むしろ日本の伝統的な楽曲を紹介する意味合いで、「さくらさくら」「荒城の月」を歌うことにしたのである。
加えて、せっかく日米合同で歌うのだから、復興支援にふさわしい日本の曲を彼らに覚えてもらい、それをフィナーレにしようということになった。そして選ばれたのが「上を向いて歩こう」である。米国では「SUKIYAKI」として親しまれていたため、彼らへの負荷もあまりないことも分かった。
京都の一教会で結成されたクワイアでなく、人数は少ないものの、各地から集められた「オールジャパン」チームとして編成されたクワイアで練習がスタートした。しかし、大阪と京都くらいの距離なら顔を合わせることもできるが、仙台ではなかなか難しい。そこで「自主練」を基本とする「短期結成型」クワイアとして、今回は本番に臨むこととなった。このアイデアは、2014年以降に結成される「合同クワイア」システムの土台となっていく。
いずれにせよ、GWという最も飛行機代が高い時期に、弾丸ツアーとして行われる「合同コンサート」がいよいよ現実味を帯びてきたのである。仕事の関係で、全行程(7日間)すべてに参加できない者が多くいた。しかし、コンサートの日だけのために渡米する方、その前後数日のみの方、など合わせて3、4パターンの旅程が組まれることとなった。
大変なのは迎える側のクライストチャーチである。クワイアメンバーは、日替わりでナッシュビル空港に日本人を迎えに行かざるを得なかったらしい。申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、彼らはそれをまったく苦にせず、献身的に行ってくれた。やはり今まで積み上げてきた交わりが、こういった形で結実するのだなと思わされた。
いよいよ次回からは、合同コンサートのレポートをしてみたいと思う。
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