日本でも最近になって、キリスト教界で組織的に行われるようになった「ホームレス伝道」。それの米国での歴史は古い。
そもそもピューリタンの信条の一つに「スチュワードシップ」というものがある。例えばビジネスで富や財を成した者がいたとする。彼は自ら稼いだものを自由に用いる権利を神から頂いていると信じてよかった。しかし同時に、貧しい人や必要としている相手に遭遇したならば、その相手を助ける責任も負っていると考えられていたのである。
その精神が米国における「救世軍」の働きとなって普及し、今では全米各地でボランティア活動(特にホームレスに向けて)が盛んに行われている。その中の一組織として、圧倒的な物量でホームレス支援を行っている団体がある。それが「ブリッジ・ミニストリー」である。
主幹者は元女優のキャンディ・クリスマスさん。冗談のような本当の名前である。彼女のマネージメントで、毎週火曜日の夕方に2トントラックが何台も橋の下(だから「ブリッジ・ミニストリー」)にやってくる。積まれているのは、古着、ドリンク、ハンバーガー、雑貨などである。その数が半端ない。別のトラックからはスピーカー、マイク、キーボードなどが運ばれてくる。ボランティアスタッフが100人近く結集し、皆で祈ってから作業に入る。
今回、特別にキャンディ氏にお願いして、大学生の彼らをスタッフとして使ってもらえることになっていた。日頃行っているボランティアとは規模も内容もまったく異なる体験ができる。単に「ホームレスの方のお手伝い」とだけ伝えていたため、そのスケールに皆びっくりしていた。詳しい様子はこちらから。
実は初めてナッシュビルを訪れた2011年3月、私はこのミニストリーに初参加していた。そこで、震災後の日本のためにホームレスの方々も皆一緒に「アメイジング・グレイス」を歌ってくれたことは今でも忘れない。感動的な一コマである。そちらの動画がこれ。その時以来、いつか学生たちにここを紹介したいと思っていたのである。その願いがこの日、叶ったといえよう。
午後5時。運び込まれた衣服や食材を前に、マイクを持った男性が気合を入れるあいさつを行う。その中で「今日は日本から大学生が来ています!」と紹介を受ける。照れる一同。その後は各グループに振り分けられ、真剣に与えられた仕事をこなしていく。
やがて大音量で音楽チームのリハーサルが始まる。その歌声がまた半端ない。聞くところによると、キャンディさんの趣旨に賛同したナッシュビルミュージシャンが無償で協力してくれているとのこと。だから歌声もサウンドも超一流である。学生たちは食い入るように彼らを見つめていた。
山のように積み上げられたプラスチック食器とコーラの缶に囲まれながら、私も誘導のお手伝いをすることにした。そこであることに気付かされた。それは並んでいるホームレスの服装である。
日本でホームレスというと、どうしても小汚いイメージがあるが、そこに集まってきた彼らは、ルイヴィトンやグッチなど、ロゴが入ったブランド銘柄のTシャツやバッグを持っていた(もちろん偽物である)。サングラスをかけてベースボールキャップを被ったその姿は、ちょっとしたファッションモデルであった。ブラック系の若者は、きれいに髪の毛を編み込んでいる。「いったいどこがホームレス?」そんな思いが込み上げてきた。
しかし彼らに近寄ると、すべてが判明した。強烈なにおいである。そしてよく見ると、バッグの中にはごみくずしか入っていなかったり、履いているナイキ(もどき)の靴はつま先部分に穴が開いている。そう、やはり彼らは「宿なし生活者」だったのである。
そんな彼らに10代後半くらいの若い女の子が、甲斐甲斐しくお世話をしている。こぼれたジュースを拭くためのナプキンを取ってきてあげたり、こぼしてしまった料理にお代わりを持ってきてあげたりする。チームリーダーによると、彼女らは各教会で訓練を受けたボランティア・エキスパートらしい。その献身的な姿は感動的である。
食事が終わる頃、日が暮れて夜の闇が迫ってくるようになる。用意されていたライトが点灯し、いよいよ集会がスタートする。ブリッジ・ミニストリーは、単に衣食を提供するだけでない。ホームレスの方々に「福音」を伝えることを最大の目的としているのである。
素晴らしい、本当に「アメイジング」としか言いようのない歌声の後は、少しユニークな時間となる。それは、「アメイジング・グレイス」をその会場に来ているホームレスの方に歌ってもらうことである。彼らは思い思いの歌い方、気持ちを込めて歌う。歌がうまい人もいる。しかし、まったく音程が外れてしまっている人もいる。それでも精いっぱい歌うその姿に人々は感動し、涙する。ここに福音の原点がある。
そして、ラストにメッセージが語られる。メッセンジャーはキャンディさんのご主人。そのパワフルかつ高速な語り口調に、皆が聞き入る。残念ながら、私は彼の語る10分の1も理解できなかった。唯一、「ジーザス!ジーザス!」という言葉だけは分かった。そんな怒涛(どとう)の説教が15分くらい続く。そして最後の「招き」の時間となる。
この「招き」とは、今日、イエス・キリストを救い主として受け入れる方を募るひとときである。ミニストリー最大の山場である。この日も10人単位で多くの方が手を挙げ、前に出てきた。そして彼らのために皆で祈るのである。このひとときがたまらない。
学生たちは「徹底して人のために尽くすイベントに、多くのことを教えられました」と語ってくれた。きっとその後の人生に生かされるに違いない。
さて、いよいよ明日はナッシュビルおよびフランクリン市長との対面である。
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