ナッシュビルとの運命的な出会い、そして結果的に3カ月ごとに深めていった友情、これらは2011年の出来事として、私の中で一生忘れることのないものとなろう。
あらためて思うことは、やはり人と人との出会いは「一期一会」であり、その時の出会いをどれだけ大切に思うかで、その後の展開がまったく異なるということ。確かに東日本大震災という大きな天災によって日本は傷を負うこととなったが、その傷を通して新たな出会いと主の導きが確かにされたという一面も否定できない。
クライストチャーチとの関わりは、その後も月1回程度スカイプでクリス氏とやりとりすることで継続された。さらに2012年のジャパンツアーをどうするかについても、話し合いが綿密に積み上げられていったのである。
私たちの側でなすべきこととして、まず受け入れ側に協力者を多く募る必要があった。やはり1教会で彼ら20人近くを受け入れることは難しく、その責務を中心に担うのは私たちだが、「復興支援」という方向で協力できる諸教会、諸団体を模索することも始められた。
結果的にこの「支え合うパートナー」が多く見いだせなかったことで、2013年にこの働きは別の展開を見せることになるが、その課題だけは1年目を終えた段階ですでにしっかりとつかんでいた。
そして2012年。まず私たちが見いだしたのは、大学生のパートナーだった。京都の諸大学軽音楽部に声を掛け、ナッシュビルから来るミュージシャンたちと共演してみないか、という話を持ち掛けた。
それに乗ってきたのが、D大学の軽音楽部の学生たちであった。彼らのレベルはビッグバンド形式では全国大会へ進出するくらいであり、クライストチャーチの音源と映像を見せただけで、「やりたいです!」と前向きな返答をもらえた。
その旨をクリス氏に伝え、楽曲の選考に入った。私として、どうしても彼ら(クライストチャーチクワイア)に歌ってもらいたい曲があった。それは映画「天使にラブソングを」シリーズから、「ジョイフル・ジョイフル」と「オー・ハッピー・デイ」である。特に後者は、あの映画同様にハイトーンヴォイスが響き渡るヴァージョンを、そのままやってもらいたかった!
そう伝えると、クリス氏は意外な顔をした。「天使にラブソングを(Sister Act)って、そんなマイナーな映画が日本ではヒットしてるの?」。彼らの認識では、この映画を日本人が知っているというだけでびっくりだったようだ。
そこで私はスカイプで、いかにこの映画が日本人の「ゴスペル熱」を湧き立たせたかを語ることになった。そして、最後にこうお願いした。「映画のシーン同様のオー・ハッピー・デイ、ジョイフル・ジョイフルを歌ってほしい。同じサウンドで、同じ歌い方でお願いします!」
するとクリスから爆弾発言が・・・。「天使にラブソングを、僕は観たことないんだよね・・・」
なんと!そんなことがあるのだろうか?これが日米ギャップというものだろう。やはり「天ラブ」は日本でガラパゴス化していたようだ。早速クリス氏はDVDを入手し、家族で観ることにしたらしい。
加えて、もう1つお願いがあった。実は2011年3月にクライストチャーチへ行ったとき、ユースクワイアによるゴスペルCDが販売されていた。その中の1曲が大変気に入っていたため、それをぜひともやってもらいたかったのだ。
それを伝えると、彼は「それならジェロンが必要だ」と腕組みをし始めたのである。「ジェロンって?」「ヤス(私のこと)は、Holy Ground という曲を知ってるかい?」。そう言ってクリス氏はその曲のサビを歌ってくれた。
We are standing on holy ground
And I know that there are angels all around
Let us praise Jesus now
We are standing in His presence on holy ground
この曲・・・なんと私が子どもの頃に、教会で歌っていたワーシップだったのだ!「知ってるよ!この曲!」
するとクリス氏はこう言った。「これを作ったのがジェロン・デイヴィスなんだ。ヤスがやってほしいとリクエストした曲も彼の曲だよ。もしよかったら、彼も連れて行こうか、今年?」
「ジェロンさんは、クライストチャーチのメンバーなの?」「そうだよ。彼の Holy Ground はアメリカでとても有名で、クリントン前大統領がお母さんのお葬式の時にジェロンに歌のリクエストをしたくらい、人気が高いんだ」
2012年、すごいことが始まろうとしていた。
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